2021年11月1日月曜日

いわき湯本での若き思い出、

 

 

 

● いわき湯本の中学時代の思い出

先ずはいわき湯本在住時の中学校時代の思い出です。 中学校時代を振り返りますと、もう余りにも懐かしいと思うくらい年月が過ぎたのだなぁと感じますが、何故か思い出すと湯水のように其の思い出が蘇ってくるのです。 あの頃は当然ながら携帯やスマホのようなものはなく、従って、家の中で中で遊ぶよりも外で遊んでいたほうがはるかに多く楽しかった気がします。

 

遊びの内容もいろんな遊びがありましたが、中でも激しかったのは巡査ごっこやドロケイ(泥棒警察ごっこ)に自分たちでルールを増やしたりして、泥だらけになるまで遊んでいたと思います。 運動も嫌いではなかったので、学校では運動部のバレー(ボール)部やバスケ部に入部して、部員と一緒に激しい練習をしたりと色々やっていましたね。

 

思い出で印象深いのは修学旅行もそうですが、運動会の思いでも強いですね。

普段別クラスでも運動会の時に一緒の組になったりするので普段取れないコミュニケーションが取れたりしますし、クラス全体が一致団結できる数少ない機会なので、余計に印象に残るのかもしれません。

 

激しかったのが騎馬戦や棒倒しでしたね。 騎馬戦は騎乗者を地面に叩きつけるまでやりますし、棒倒しなどは攻める側と守る側に別れてって、開始の笛の合図と同時に相手の棒に向かって突進し、激しく喧嘩(・・?)しながら相手の棒を水平にするか地面に叩き落とすという競技です。  何方も男性向きの激しい喧嘩腰の競技でしたから男は燃えましたよ。 最近は運動会にしろ何にしろ何事を行うにも安全第一でヨワヨワしくて宜しくないですね。

 

其れに、やはり燃えるのは最後の種目であるクラス別対抗リレーでしたね。 当時そこそこ足が速かったので走るのも好きでしたし、あのなんともいえない緊張感がたまらないですね。

たまに思い返してみると楽しい思い出しか出てきませんね、少し時間をつくって色々と思い返してみたいと思います。

 

 

 

 

 

● 高校生時分の通学時の体験談です

 

当時の田舎は、福島県いわき市常磐湯本で、あのいわき湯本温泉で有名なところです。 東京から常磐道で「いわき湯本」、JR常磐線では「ゆもと湯本」駅が交通の基点となってます。

 

我家は駅からは降りて、正面を左方向にあり、歩いても10分足らずの比較的交通の便はいいところです。 駅から右手方向には温泉街が広がっていて、近代的なホテルや和風の旅館があり、街中には公衆温泉浴場(立ち寄り湯)や足湯なども揃っていて、温泉の風情もあるところです。 そして、何よりもあの全国的に有名になった映画・「フラガール」でも御馴染みのところです。 勿論、あのスパリゾート・ハワイアンズのあるところです。

 

さて、小生が高校生の時は、常磐線は未だ蒸気機関車(S・L)の時代でした。 

通学は、常磐線の湯本の駅から下りで二つ目の「平」駅でした。 この駅から歩いて15分ほどの県立高校でした。 当時は通学専用と言っていい2両編成の列車があって、始発がこの湯本駅だったのです。 通常は勿論、通学定期を見せて改札口を通って汽車に乗るわけですが、朝寝坊の小生は何時もギリギリで、時には発車寸前になって慌てて改札口を通らないで、最後尾の所へ乗り込む始末でした。

 この回数も週に一回程度はあり、ある時など、汽車が発車して動き出してからから乗るときもありました。 (汽車は電車と違って発車時はゆっくり走り出し、走って乗り込むことも出来たのです) 時折、車掌に、「又、お前か・・!」と小言を言われもしたが、この車掌さんとはこんな因縁で、変な知り合いの間柄のもなったのです。

 ある時など、小生が走ってくるのを知って、汽車の発車を遅らせたこともあったようで、「お前のお陰で、2分遅れたぞ」などと、こんな事もありました。

何れにしても古き昔の、ヤンチャな時代の懐かしい思い出です。

 

  

 

● 福島県立磐城高校

 因みに、筆者が通学していた高校は、福島県立磐城高校といって福島県の浜通り、いわき市にある一応は有名進学高校です。 親父の時代は磐中(ばんちゅう)と言われていたように、旧制磐城中学校が前身であり、我等の頃は磐城高校(ばんこう、後にいわこう)になっていたが、校歴は100年以上の歴史を有する学校で、地元では評判の高校です。

 場所は、常磐線のいわき駅(旧平駅)から北西の方向で、徒歩で15分程度の高月台と言う地名の高台にあります。 進学率の高い進学校で、生徒の8から9割は大学へ進学します。 我等の頃は男子専門校であったが、近年では女子も受け入れるようになり、従って、丘を越えた向こう側に磐城女子高校があったが、磐城桜が丘高校と変名し現在は男女共学高校となっているようです。

 クラブ活動も盛んで、特に運動部は野球部は夏7回、春2回甲子園に出場し、御存知、1971年の夏の甲子園では準優勝に輝いた実績を持つ。 この他にもラグビー部が全国高校ラグビー大会に17回出場、サッカー部が全国高等学校サッカー選手権大会に5回出場している。

又、文化部では全日本吹奏楽コンクール、全日本合唱コンクール等が実績をあげています。

 

 

 

 ● 人気野球漫画の「ドカベン」は、夏の甲子園決勝で惜敗した「磐城高校」がモデル、

 因みに、人気漫画に水島真司の「ドカベン」は1971年度の夏の甲子園決勝で惜敗した磐城高校がモデルともいわれています。 野球マンガで人気のあった『ドカベン』に見る、かってのいわき市は炭鉱の町であり野球熱が盛んな地域でもあります。

 この「ドカベン」に出てくる、いわき東高校のモデルは磐城高校だといわれています。 進学校としても知られるこの県立磐城高校は、1971年夏の全国高校野球選手権でやはり「小さな大投手」といわれた165㎝の田村隆寿を擁して決勝まで勝ち上がり、神奈川の桐蔭学園高校に01で惜敗します。

 田村は全試合を1人で投げ抜き、初戦から連続完封。決勝戦の桐蔭学園高校との試合で0-0から7回裏に34イニング目での初失点を喫しました。 1失点だけの準優勝投手は、未だに長い歴史を誇る全国高校野球選手権の歴史のなかでも彼しかいません。

 

  

● 炭鉱があった磐城地方の野球熱が、当時の高校野球を盛り上げていた

 いわき地域の炭鉱の核になっていた「常磐炭鉱」が閉山を決めたのが、くしくも同じ年の1971年でした。 準優勝に終わった磐城高校の野球チームのパレードを、地元の人たちは大きな歓声で迎えたといいます。 すべての炭鉱が集結するのが1984年でしたが、中核になっていた常磐炭鉱の閉山は、街全体に将来への不安を掻き立てていました。

 今は昔の炭鉱全盛期には炭鉱企業が福利厚生としてスポーツに力を入れたことから、産炭地は野球熱を帯びていきました。 炭鉱企業の常磐炭礦は社会人野球チームがいくつもでき、後楽園で全国大会が行われた都市対抗野球でも存在感を放っていました。 そして、そこからプロ野球の世界に羽ばたいていった選手も数多くいました。

 昭和の高校野球イメージとしては、磐城高校はかつての男子校から今は共学校になりました。 近年では2020年の選抜高校野球大会に21世紀枠で出場予定でしたが、新型コロナの影響で同大会が中止になってしまいました。 代替大会として8月に開催された高校野球交流試合では、国士館高校と対戦して34で惜敗しました。

 

高校野球があっ「『ドカベ」があり、「ドカベン」があって高校野球があった、それが昭和から平成の時代だったのです。

 

   

 

次回は、福島県人気質とは、  


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