2021年7月30日金曜日

「森の石松」の金毘羅代参、

 








金毘羅4
石段途中にあるお土産店の石松っつぁんの人形、




● 浪曲の中ですが、「森の石松」が親分・次郎長の金毘羅代参、



途中、参道石段の土産屋に、ユニークな、かなり大きめでやや等身大の「石松っつぁん」の人形が置かれていた。 ご存知、広沢虎造の口演浪曲、清水次郎長伝の中の「森の石松・金毘羅様代参」の石松っつぁんを模作したものである。 





石松は、次郎長の名代で金毘羅さんへ悪人を切って汚れた刀を納めに行くことを頼まれ、大政、小政にも金毘羅様代参に行ってくれるよう説き伏せられる。

  

” ♫ ♫ 文久二年の三月半ば、何処も同じ花見時。 次朗長が石松に、「讃岐の金毘羅さんまで使いを頼む。悪(わる)の代官と久六を斬った汚れた刀をお山(金毘羅さん)に納めに行くためである」 「すぐに行ってきます」という石松に、「待て待て、発つのは明日でいい。それから次朗長が頭を下げてのお願いは、お前という人は酒癖が悪いから、旅の間は一滴の酒も飲んでくれるな、いいか・・」「わかりました。つとまらねえから断ります。」「俺がこんなに頼んでもいやか?」「いやです」「よせ!次朗長には六百何十人子分がいるが、俺の言うことをいやだと言うのはお前一人だ 。生かしておいちゃためにならねえ。命はもらった、覚悟しろ。」「有りがてーな、わっしゃあ、あんたに惚れて子分になったんだ。惚れたあんたに斬られて死ねりゃ本望だ、さっ、斬っておくんねえ。」強情っぱり同士が喧嘩している。 となりの部屋で聞いていた大政、小政が石松を呼びつけて、「嘘も方便て言葉を知らねえか。判らないようにこっそり飲んでいいから」と説教し、判った石松は、翌朝、金毘羅さんへ向けて出発する。 四国・金毘羅さんに刀を納め、讃岐の国を後にして、大阪へ戻る石松は、大阪・八軒屋から伏見へ渡す三十石船に乗り込み、船中でのやりとりで、「飲みネー、食いネー、もっとこっちへよんネエー、江戸っ子だってネー」「神田の生まれヨー」♫ ♫ ”  の、やりとりは余りにも有名である。 だが、その後の石松の運命やいかに・・?、実は、石松は次郎長が待つ清水へは帰ることが出来なくなってしまうのだが・・?  



現代の若い人は・・?、無理かな・・。

帰路、駐車場の御土産屋で、2000円の七福神の置物を購入し金毘羅宮を後にした。




 金毘羅さんに纏わる昔の歌、

       

「金毘羅船々」  (四国 讃岐民謡) 



金毘羅船々

追風に帆かけて

シュラシュシュシュ

まわれば四国は

讃州・那珂郡

象頭山

金毘羅大権現

一度まわれば



金毘羅み山の

青葉のかげから

キララララ

金の御幣の 

光がチョイさしゃ

海山雲霧 

晴れわたる

一度まわれば



金毘羅石段

桜の真盛り

キララララ

振袖島田が 

サッと上る

裾には降りくる 

花の雲

一度まわれば





 

昔の女の子は、よく次のような数え歌を歌いながら、お手玉で遊んでいたという。



  一番はじめが一宮

  二また日光東照宮

  三また讃岐の金毘羅さん

  四また信濃の善光寺

  五つ出雲の大社



  六つ村々鎮守様

  七つ成田の不動様

  八つ八幡の八幡宮

  九つ高野の弘法様




次回は、いわき湯本の「金毘羅さん」 


2021年7月27日火曜日

金比羅宮の「さざれ石」と君が代

 





さざれ石

さざれ石2
金毘羅さんのさざれ石と説明碑




● 金比羅宮の「さざれ石」と君が代 

大門からの参道の突き当たり、書院のそばに大きな「さざれ石」が鎮座している。 「さざれ石」というのは細かい石のことで、長い時間をかけてこれが集まり堆積して、粘土や砂などと混ざって礫(れき)岩となり、やがて巌(大きな岩)にもなる。小粒のものが大きく育つ意味合いで、目出度い「石」とされている。 勿論、何処かで聞いた風だなと思ったら、我が国歌「君が代」の歌詞の一部になっていることに気がついた。

 
この、さざれ石は他の主要な神社にも鎮座されている所があり、特に京都の護王神社(京都市上京区:京・平安遷都に功績のあった和気清麻呂(わけのきよまろ)を祀っている)のものは和歌に詠まれた「君が代」の原点になったものといわれるが・・?。 「さざれ石」は、その他の主要な神社出雲大社(島根県)、鶴岡八幡宮(鎌倉)、霧島神宮(九州)、又、「君が代」を尊愛する関係先での東京の皇居・千鳥が淵戦没者霊園、さざれ石公園(岐阜県)というのも在るという。

 

ところで、国歌・「君が代」についてですが、

 「 わがきみは 千代にましませ さざれ石の巌となりて 苔のむすまで 」  (古今和歌集 よみ人しらず)



 日本に「国歌」が制定されたのは明治時代でしたが、その元になった歌は上記の平安時代に編纂された「古今和歌集」の中から取られたものでした。 歌の作者は「よみ人しらず」となっており、誰の歌かは分かっていません。



「わが君は 千代にましませ さざれ石の

いはほとなりて 苔のむすまで」

よみ人しらず(古今和歌集)

 (あなたは、千年も万年もおすこやかに長生をお保ちください。細かい石が大きな岩となり、苔が生える先ざきまでも) 新潮日本古典集



現今の「日本国国歌」

君が代は 千代に八千代に さざれ石の

いわおとなりて 苔のむすまで


この古今集の歌句が、「君が代」の大元になったとされているが、明治憲法では、「万世一系の天皇はこれを統治す」と、「君が代」は天皇自身を指していたが、これは歌の解釈が当時の「富国強兵」に解釈され、戦後、国民にある種の思惑で翻弄された。 現在は、「君が代」の「君」は天皇を超えて、国民自身を指し国民国体を讃美、讃歌する歌として、親しまれていることには間違いないとしている。


「君が代」この曲については、次のようなエピソードがあります。 日本の代表的作曲家である山田耕作氏は、若い頃ドイツに留学していました。 その頃、ドイツの大学の音楽教授たちが、世界の主な国歌について品定めをしましたところ。その結果第一位に選ばれたのが日本の「君が代」ということでした。


前述したが、歌詞の中の「さざれ石の巌となりて」について

「さざれ石というのは、細かい石のことであり、さざれ石が固結した岩石を礫(れき)岩といいます。 つまり、さざれ石は巌になるのです。 ただ、地質というのは巖が風雨によって砕かれて小石や砂になるのが一般的ですが、日本列島という地質学的には、大陸から運ばれてきた小さな石(さざれ石)が堆積を続け何千万年という長い間に、圧力で固結して岩石となるということなのです。 


学問とし、地質学の発達以前にできた「君が代」が、科学的にみて現代の地質学の理論にピタリと合っているのは不思議なくらいで、歌詞には非科学的なところは少しもないというのが地質学者の見解でもあるという。


「君が代は、千代に八千代に」についてですが、これは、「天皇の御代がいついつまでも」と言うような意味であり、現代は民主主義の時代であるのに、天皇を讃える歌を歌うのは矛盾しているという考えもありますが、それは、表面的な解釈といえるでしょう。


 日本国憲法の第一条には、「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」とあります。 象徴という言葉を考えてみると、象徴とは目に見えないもの表現しにくいものを、目に見えるような形に表したものです。


天皇は、日本国民が一つに統合されるシンボルということになっています。 したがって、「君が代は、千代に八千代に」の意味は、現憲法に照らしてみても、「日本及び日本国民が、いついつまでも平和で栄えますように」という意味になります。 従って、現在の日本国の社会体制である民主主義とは少しも矛盾しないことになります。

 
因みに、イギリスの国歌は、世界で最も古く有名なものですが、労働党内閣ができても、「神よ、守れ、女王を」と歌っています。 それで、民主主義と少しも矛盾しないことを、イギリス人は知っているのです。


「君が代」は日本を代表する歌の歌詞として、日本文化の中から生まれたもの、古くから人々に親しまれ、しかも、格調の高いものであることが望ましいのでしょう。その意味でも、この歌は、ふさわしいと言えるでしょう。



 また、当然のことですが、「君が代」を歌えば、日本が再び軍国主義化するとか、戦争につながるという議論は成り立ちません。 日本以外の国でも戦争をしています。それどころか、日本は世界の中でも戦争の少ない国なのです。

ただ、君が代や天皇制に反対する勢力が国内にはあります。 其の反対派の中心は日本共産党であり、其の配下にある日教組とそれを支持する革新派(リベラル派)ということになるでしょう。 しかし、これも日本国という民主主義の世の中だから唱えられることであろう。


其の反対派の考え意見として、「君が代」の「君」は「天皇」を意味し、従って「君が代」は天皇とその治世を讃えた歌である。 戦前ならばこれでもよかっただろうが、しかし、国民主権を原則とする日本国憲法の下では到底、公の教育の場においてはふさわしい歌ではないとしている。




次回は、 「森の石松」の金毘羅代参、



2021年7月23日金曜日

金毘羅さんの縁起と祭神

 


 


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● 讃岐の本社・金毘羅さんの縁起と祭神について、

金刀比羅宮は、古くから海、航海の守り神として信仰されていることは衆知である。 瀬戸内海は、古来より海上交通の要衝であり、しかも海流が激しい海難の地域であった。 讃岐の琴平山は、この瀬戸内海を見下ろし、見守る絶好の地であったため自然発生的に海の祭神が祀られるようになったと思われる。 

金刀比羅宮は、大物主神(オオモノヌシノミコト・蛇神であり水神または雷神としての性格を持つ、稲作豊穣、疫病除け、酒造り醸造、国の守護神)を祀り、古時は琴平神社と称した。 現在の琴平町名は、この社名から起こったとされる。 又、後に保元の乱(1156)で都を追われ讃岐に流され、この地でで生涯を終えた崇徳上皇を合祀相殿するようになった。

 因みに、金刀比羅宮の祭神は、大物主神で「和魂」とされ、元もとは大国主神のことである。 不安定な日本の国を安定させるために、大国主神が中心となり、粗野であった大地の国造りを行われて来たので大国主「荒魂」ともいわれた。 平定した国をよりよく治めるために、大物主神の和魂をもって五穀豊穣や平安を祈る力とした。 はじめ荒ぶる魂であったが、後に、和やかな魂になったとされ、二つの精神を持った一つの神のことあった。 こうして日本の国は、大国主神の国造りを終えられたところで、大物主神の力に委ねられることになる。  大国主神は、記紀(古事記、日本書紀)などの表記によって、幾つかの神名を持つとされる。

さて、琴平山(象頭山)には、松尾寺(本尊・釈迦如来、薬師如来)が建立されていた。 その御本尊の守護神として金毘羅が祀られて、これが金毘羅大権現になったという。 この金比羅さんというのは、元々は薬師如来の守神である十二神将の筆頭・宮比羅(インドではクンピーラ)のことで、クンピーラはガンジス川に棲む「鰐」の神格化されたもので、海神や竜神といわれる。

因みに、薬師如来は、西方極楽浄土の阿弥陀如来に対して、東方浄土(浄瑠璃界ともいう)の教主で、その 名の通り医薬を司る仏で、医王という別名もあり、衆生の病気を治し、安楽を 与える仏とされる。 薬師如来は、大陸には存在せず、所謂、東方の日本に主に存在し、飛鳥の時代より信仰されている。 脇侍(きょうじ)には、ご存知の左に日光菩薩、右に月光(がっこう)菩薩で、十二神将に取り囲まれている。 

 この十二神将は言い伝えによれば、時を表す十二支に対応していて、一日を約2時間ずつ交替で守護しているのだといわれる。この十二神将の筆頭の宮毘羅大将が、日本では金毘羅(コンピラ)に訳され海上安全の神となり、大衆には「金比羅(こんぴら)様」の名前で親しまれてい。

ついでに、権現(ごんげん)とは、日本の神の神号の一つで、日本の神々は、仏教の仏が形を変えて姿を現したものであるという本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ・平安期に起こった神仏思想)の考え方に基づいた神号である。 「権」という文字は「権大納言」などと同じく「臨時の」「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「現れた」ことを文字で示している。

又、琴平山が象頭山と言われるのは、お釈迦様が修行した地に似ていたのと、琴平山が象の頭に似ていたので、その名が付けられたとも言われる。 「象頭山金比羅大権現」は、神仏習合によって金毘羅自体に神名が与えられたことを意味する。

ところが明治の初期、国家神道を成立させるべく、明治政府が神仏分離を発令され、後に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく・神仏分離令が出されたのをきっかけに、神道家などを中心に各地で寺院・仏像の破壊や僧侶の還俗強制などがおきた)と呼ばれるもので、その為、松尾寺の別当(筆頭僧侶)は、寺自体を廃絶させた上で祭神を金刀比羅宮として生き残ったという。 そして現在はこの祭神が踏襲されている。

日本は海の国、海洋国家である。 海の神様である「金刀比羅宮」が全国各地に分社、分支され多くの国民に愛され祀られているのは当然の事と言えるかもしれない。


次回は、金比羅宮の「さざれ石」について、 


四国讃岐の琴平・金刀比羅宮訪問記

 





● 次は四国讃岐の琴平・金刀比羅宮の訪問記になります、

さてさて、既に相当以前の事になってしまうが、「日本一周の旅」の途中を含めて過去に本社の琴平町・金刀比羅宮には二度ほど訪ねたことが有りました、其の時の記録になります。 


金毘羅13             300年の歴史を有するという「とらや」



寺社の代表的な門前町となっている琴平町の中心に金刀比羅宮の名物ともいえる石畳参道がすぐ目に付いた。 主要道路の角の大きな駐車場へ車をよせて「お参りの帰りに2千円ほど買い物すれば無料でいいよ・、」と年配の係員が曰く。 見れば、奥のほうに立派な店構えの土産屋があった。 先ずは、カメラと賽銭を持って早速出かける。 幅の広い石畳参道の両側にはギッシリト土産やが並ぶ。 やがて名物の石段の始まりである、名物「讃岐うどん」の老舗らしいのが二軒ならんでいる、「とらや」という最初の石段のすぐ脇にある店が実に歴史を感じる。

 

金毘羅10        石段スタート地点、



金毘羅9         石段籠



そして、金毘羅さんの名物石段参道へ、
石段横に、「本宮まで785段、奥宮まで1368段、海抜421m」とあった。 石段を登り始める、両側には、これまた立派な石燈籠や玉垣などが無数に建ちならび、ひたいに汗して上り下りする参拝客に無言の激励をおくっている。 参拝客が長年行き来した石段は、表面がすり減って磨かれたようになっていた。 最近、手直しをしたのだろうか、部分的に石の表面を削って滑らないようにしていた、参拝客への心遣いだろう。 石段の両脇には、軒を接するように土産物屋が並んでいる。 時折、乗合籠が目に付く、年配者や身障者には有難いだろう。

因みに、石段の乗り合い籠は担ぎ手が前後ではなく、石段を登るために石段と並行して登ってゆくという、つまり乗客は横向きになって登ってゆくのである。 かって高齢で有名になった金さん、銀さんも利用したという。


金毘羅12         大門と五人百姓たち




ここを抜けると、やがて大門が見えてくる、威風堂々たる構えの山門、否、神門である。 1650年、初代高松藩主の松平頼重侯の寄贈によるものだそうで、楼上に掲げられた「琴平山」の名札は有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう・明治新政府の成立に至るまで朝廷における反幕府・尊王攘夷派の急先鋒であった)の筆によるという。 

山門のそばには、「五人百姓」の名前を持つ、鼈甲飴(べっこうあめ)を売る店がシンボルらしく、大きく真っ赤な番傘を広げ、古風な姿でお客さんを待っている。 本来、境内では商売禁止だが、昔からの神事への功労により、特別に境内で営業を許された五店の商家が「五人百姓」といわれるそうだ。所々の鳥居のところに「しあわせさん、こんぴらさん」の大きな横暖簾が気持ちをほぐしてくれる。 


金毘羅2   本殿

金毘羅11   旭社

金毘羅6      絵馬堂


無限に続くかと思えるほどの石段を登り越して、ようように山頂境内に立った。 本殿境内には、「書院」や「旭社」といった由緒ある建物が並ぶ、特に左手に在る「旭社」は絢爛豪華な社殿で、屋根裏、柱、扉など至る所に彫刻が施され、完成まで約40年の歳月を要したといわれている、あたかも日光陽明門をみるようである。
因みに、森の石松の「金毘羅代参」は浪曲でも有名な話だが、慌て者の石松っつぁゃんは金毘羅さんの本堂と旭社を勘違いしてお参りし、そのまま帰路についたといううわさ話もあるという。


本殿の南に建つ、南北2つの「絵馬堂」も吹き抜けの堂々たる造りである、海難除けのお礼や祈願成就の絵馬をはじめ、大小様々、色とりどりの絵馬が掲げられている。
さて、本殿である・・!、 中央拝殿に額ずき、神妙に参拝する「旅の無事安全と一家身内親戚一同、無事安泰、交通事故の無いよう、宜しく見守って下さい」と。 本殿は、象頭山(ぞずさん)の中腹に鎮座する大社関棟造(たいしゃせきむねつくり:金毘羅本宮唯一の美しい社殿形式造りになる)と言われる荘厳な社殿で、大物主大神と崇徳天皇を祀り、海上安全をはじめ、国の繁栄や農漁業、医療など、さまざまな願いを叶えてくれるといわれる。 「讃岐の金毘羅さん」と昔から親しまれ、江戸時代には「お伊勢参り」と並ぶ程の人気であったという。


次回は、金毘羅さんの祭神、

2021年7月18日日曜日

本社の金刀比羅神社、琴平神社

 





金毘羅3

金毘羅2

金毘羅1
四国讃岐の金毘羅宮




● 四国讃岐に鎮座する、本社の金刀比羅神社、琴平神社



民謡・「金毘羅船々」


金毘羅船々
追風(おいて)に帆かけて
シュラシュシュシュ♪
まわれば四国は
讃州那珂の郡
象頭山(ぞうずさん)
金毘羅大権現
一度まわれば♫




一番の歌詞を解説すると

「金毘羅船々」=金毘羅とは四国、讃岐国(香川県)にある金毘羅大権現のこと。明治以前の神仏混淆時代には金毘羅大権現と称していましたが、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈の流れで、金刀比羅宮という神社に変わっています。 「追風に帆かけて」=進む方向に吹く追い風のこと。風を帆に受けて順風満帆の様子を唄っています。 シュラシュシュシュ=船が速く進む様子ですが、シュラは修羅で、巨石など重い物を載せて引く、そりの形の運搬具かけた言葉とする説もあります。 「四国は讃州那珂の郡」=那珂郡(なかのごおり=なかぐん)は、香川県にあった郡。現在の丸亀市、琴平町一帯を指します。


さて、江戸期以前は神仏混交の時代であり、神も仏も一緒一体になっていた時代ですね。 金毘羅大権現とはこの時代もの呼び名で、「権現」と言うのは、代わりに現す、現れるという意味で、この場合は仏や仏体が神の代わりになって姿を示している、と言う意味になってきます。 

ところが、明治初期に政令で神仏分離・廃仏毀釈が実施されたことによって、、金毘羅権現という名称は廃止され、神を祭る神社としての格式に換わったのです。 つまり、金刀比羅神社は大物主神(大国主神の別名)がを主祭神となったのです。 更に、全国にある凡そ600社ともいわれる金刀比羅神社、琴平神社の総本宮でもあるのです。


当初はあらゆる分野の人々に信仰されていたが、19世紀中頃以降は特に海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集めるようになりました。 時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の日本特別掃海隊(朝鮮戦争における海上保安庁の掃海)の殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。 境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られるし、金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残っています。



次回も引き続き「金刀比羅宮」のこと、


2021年7月16日金曜日

金刀比羅神社の縁起、概要

 



 
いわき湯本の金毘羅神社、


● 実は金刀比羅さんといえば四国は讃岐の神社が本社でした、

 いわき湯本の金刀比羅神社は、在所は福島県いわき市常磐関船町諏訪下に鎮座している神社です。 創建は遠く室町時代とも言われ、「四国・讃岐のこんぴらさん」とも言われる香川県琴平町の金刀比羅宮の本宮から分霊として勧請したのが始まりとされます。

 

日本三大金毘羅宮の一つであり、いわきの金刀比羅神社は海上交通の守り神、漁業の大量祈願の神であると共に、近年では厄払い、家内安全や商売繁盛、交通安全の神として「こんぴら様」、「こんぴらさん」と呼ばれ親しまれています。 例大祭では、参道に大小さまざお守り物屋が出現し、「いわきだるま」や色鮮やかな「宝船」や「熊手」などの縁起物の販売、露店も立ち並び、にぎわいを見せています。

 

金刀比羅神社・社殿は所謂、神仏一体の名残として「権現造り」の建物で、参道には摂社として天満宮や諏訪神社などの境内社があります。 平成の年間には新しい社殿を築造し、神威も新たかにより強くなったとも言われています。 祭事のときは、境内では随時神楽の奉納が行われ、約1時間おきに大黒様とえびす様とともに福むすめによる福銭撒きも行われます。

 

因みに、権現造り(ごんげんづくり9とは神社の社殿建築様式の一つで、本殿と拝殿を「石の間(または合の間)」と呼ばれる幣殿(へいでん)でつなぐ様式のことをさしま、石の間造りともいうらしく、代表的な社に東照宮などが其れに当たり、江戸期などに多く作られています。 社殿の一般的な造りは拝殿と本殿が一体になっているところもあるが、多くは拝殿は参拝者が拝礼するところであり、本殿は御神体が収まっているところになり、分かれているのが普通です。

 

  次回は、 「本社の金刀比羅神社、琴平神社」

2021年7月15日木曜日

金刀比羅神社の御祭り、

 


金毘羅祭礼












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● いわき湯本の金刀比羅神社の御祭り、祭礼、


ところで、この金刀比羅系の神社というのは有名でご利益のある神で、航海の神、漁業の神、商売の神と行って崇められ、毎年に亘って旧暦の1月10日(新暦では2月中旬ころ)、盛大に祭礼が行われ、湯本の駅前通りから神社参道にかけての主要道路(昔の陸前浜街道)は祭りの縁起物、露天商や芝居小屋、お化け屋敷などが開かれて大賑わいであり、特に近郷近在の海の関係者たちはこぞって参拝するそうです。 


規模的には参拝客は10万とも15万とも言われるそうで、当日は朝から夜中まで人々が絶えることがなく、湯本町内は勿論、いわき市内でも一番の賑わいをいせるお祭りと言ってもいいでしょう。 其の賑わいは我家を一歩出ると、飾り付けた縁起物を売る露天商や人の群れが確認できましたね。 


其の日になると我が家を含めた近在の家ではお祭りの御もてなしに大わらわで、我家でも親戚一同が集まってお祭りの祝宴を始めるのです。 子供の頃はこれが楽しくてワクワクしたもので、何より親戚のオジサンたちからお小遣いの祝儀を貰うのも楽しみの一つだったのです。

我ら子供の頃は、否、大人になっても、ご近所である金刀比羅神社を「こんぴらさん」とか「こんぴらさま」と言って親しんでいました。


次回は、 金刀比羅神社の縁起、概要





2021年7月13日火曜日

神社は恐ろしい所・・?、

 











● 奥まって鎮座している神社は恐ろしい所・・?、


そんな、夜は恐ろしげな金毘羅神社において我らが中学生の頃までは、よく「肝試し」といって所謂、付近に町民の子供たちが夏休みの一時に「度胸試し」といって、夜中の12時(実際には24時過ぎ)過ぎになると一人ずつ、懐中電灯を持って参道から階段を登って本殿(実際は拝殿)に向かって、社の中に納めてある御札を頂戴してくるのである。 勿論、其のときには一点の明かりのみで本当に神社の怖さというか、恐ろしさを目の当たりにしたものでした。


ところが、そんな時期にチョットした事件が発生したのです。 神社の社というのは何処でもそうでしょうが拝殿、そして回廊から本殿へと繋がっていて、其処が一体となってご神体が納められているのです。 この本殿の付近である杉木立で、女性の首吊り自殺事件があったのです。 我ら子供はすぐに興味本位で駆けつけましたが、参道横の駐車場には既に救急車や消防車が何台か止まっていて、物々しい雰囲気であり、我らは参道横の山道を登っているときに、自殺者が担架に運ばれて下っているところを見てしまったのです。


其れは確かに、未だ若い女の人でした。 顔や上半身は布を被せられて見えませんでしたが、下半身には模様のある着物と真っ白い脛や足先が眩しいほどに見えてしまったのです。 そして更に、現場へいってみると、本殿の後ろでは現場検証のお巡りさんでしょうか、数人の方が現場の様子を伺っていたようです。 


何でも宙吊り自殺の場ときは、絞首刑の場面の記録映画を見たことがあるが、自分の体重が支えきれずに首の骨を折りながら瞬間的に絶息絶命するのだそうですね。 そんなことがあってからは、我ら子供達はこのような呪われた神社を、いつしか首吊神社と密かにいっていたし、其れ以来は暫くは神社には近づかなくなりました。 其の理由というのは、大人たちが自殺した女性の魂が祭神に移って神社の本殿から夜な夜な、「うらめしやーー、金返せーー、子供を返せーー」というような、泣き叫ぶような女の声が風にのって聞こえてくるという評判だったのです。



次回は、金刀比羅神社の縁起、




2021年7月12日月曜日

金毘羅神社、金比羅宮の事、

 


 





 





いわき湯本の金毘羅神社、




● 一般的な田舎にある神社や寺院のある風景、

 現在では首都圏の郊外のある都市に住んでいますが、20歳代の頃までは勿論、故郷というか田舎があって其処は福島県のいわき市内の古来から温泉でも有名な地域であるいわき湯本温泉でした。 筆者の住まいは其の湯本駅の南側の街外れの、どちらかといえば静かなホタルが飛び交う里山に近い長閑なところでした、。

 

其処には大昔から地元でも有名な神社やお寺があって、昔は神社お寺とも一体になっていて、所謂、神仏習合の地とも言われていたところでも有りました。 当時までは観光寺でもあったらしいのですが今は地元のお墓を預かる檀家寺でもあり、山裾、山腹には多くのお墓があります。

 

一方、神社の方は金刀比羅系の神社で、何でも四国の琴平から遷宮さらた神社だそうです。 此方のお社はお寺さんよりの山頂部にあって、石畳の参道と急な石段を登った所にあります。 そして、我ら子供の頃はよくお寺や神社で遊んだものでした。 

 


 ● 子供の頃に夏休みに行った度胸試し(肝試し)の金毘羅宮、

そんな事で遊び場が神社や仏閣の境内でもあったのです。 よく言われることにお寺と神社は何方が怖いところか、などと言われたいますが、筆者自身の子供の頃の体験として肝試しなども行ったものである。 一般にお寺は夜になっても何となく薄明るい雰囲気で、火の玉(魂)やボーーッとぃた明かりが墓石の上に現れる時があるとされていますし、案外、怖さとか恐ろしさは感じないものでした。

 

ところが、神社というのは元より、杉木立の巨木が鬱蒼としていて、それが参道から階段を経て本殿まで続いているのです。 特に本殿の周辺は周囲が杉木立や巨木で覆われていて、夜など数人で歩いていても大木のせいもあって漆黒の闇で、ゾクゾクするほどの恐怖を感じるところなのです。 

 

よく言われることに、神社は神が鎮座しているところとされていて、神は福をもたらすと同時に厄災をもたらすともされていて、従って、お祭りや縁日などの日は祭神を呼び出して神輿や祭事などで祭り上げて大いにもてなすのだが、普段の時の神は奥深いところで静かに奥の社に居座ってほしいと願って、山の奥の方に所謂、「鎮座」してもらっているのだそうです。

 

  次回は、神社で恐ろしい経験をした所、




 

2021年7月11日日曜日

いわき市湯本駅の「石炭化石館・ほるる」

 


















 ● いわき市湯本駅の近くにある石炭採掘史跡と化石の展示してある「石炭化石館・ほるる」

 いわき市湯本には「石炭・化石館」という博物展示館があります。 当館は昭和59年(1984年)に開館したもので、いわき市、特に本施設が立地するいわき湯本(旧常磐市)は、かつて常磐炭鉱の企業城下町として発展し、現在でも炭鉱の坑道跡を利用した温泉湧出施設が有名である。

また、いわき市内では多くの古生代から中生代の化石が発掘されることで有名であることから石炭・化石館として建設されたもので、近年になって更にリニューアルオープンしたが、この時に同時に全国公募により愛称を「ほるる」とし、ロゴマークも新しくした。

 場所的には湯本駅の北側の路線に沿ってあり、歩いても行けて徒歩にて10分か15分ほどになります。 温泉街をぶらぶら歩いて行くのもよいが、急ぎの場合は駅裏から直ぐのところになります。 いわき市そのものは今では化石の町ともいわれているようで、市内で発掘された化石のほかにも、世界の各地で採掘された化石も展示されています。

特に、入口付近には大昔のオオナマケモノ(エレモテリウム)が展示してあり一層迫力を感じます。 また、いわき市は「石炭の町」でもあり、地下650mという想定の坑道には、「ご苦労様です」と話しかけたくなるような人形展示が数多くあります。

展示室内の化石展示室にはいわき市内の化石と世界各地の化石が展示され、地球の歴史を学べるようになっているし、特に、いわき市内で発見された「フタバスズキリュウ」の全身復元骨格・産状標本と、「イワキクジラ」など陸海空の古生物化石を網羅し、特に海棲爬虫類の標本が充実している。 

日曜版の人気テレビ番組の「ザ!鉄腕!DASH」の企画でTOKIOのメンバーが2002年に市内大久町で発掘した首長竜化石は当館に寄贈され展示されていたが、現在はいわき市海竜の里センターに展示されている。

ところで、いわき市の常磐炭鉱の石炭は、新生代(6000万年以降)の3500万年前のメタセコイアという植物の化石だそうで、それらの石炭展示室には世界各地や日本各地の石炭採掘のサンプルを展示し解説している。

また、常磐炭鉱の歴史や採掘するときの道具の展示などや、戦前の昭和10年頃の炭鉱町の生活をも復元したコーナー、其れに何といっても炭鉱の坑道など抗口のエレベーターや模擬坑道などが再現されており、当時の雰囲気を体感できる。

この場所は2006年の映画『フラガール』の常磐炭田のシーンに使われました。


 ところで、石炭化石館で巨大なモニュメントである「フタバスズキリュウ」の化石は、昭和中期(43年)に福島県いわき市大久町入間沢の大久川河岸で露出していたところを発見されたもので、発見者は当時高校生だった鈴木直君によって発見されたとされている。


 


この頃の日本列島では、首長竜や恐竜など中生代の大型爬虫類の化石が発見されることはないという考え方が一般的だった。 ところが、フタバスズキリュウの発見により、こうした今までの定説が覆され、日本各地の専門家やアマチュアの研究者による化石発掘が各地で盛んになったといわれえている。


 


「フタバスズキリュウ」の化石は、全長約7mに復元されているが、首の部分の化石が発見されていないために飽くまでも推定値であるが、逆に、首以外の殆んど全身70%が化石として残っているのは稀有な標本ともされている。


命名に関しては、漢字では「双葉鈴木竜」という名になるが、発見者の苗字「鈴木」と、其れに発見された地層の「双葉」層群から名付けられているとされる。


 発見当時は、新種かどうかの判断がつかず、発見後から実に40年近く経った2006年(平成18年)に国立科学博物館の佐藤たまき特別研究員(当時)と真鍋真主任研究員、群馬県立自然史博物館の長谷川善和館長(当時)ら3人の研究チームによってようやく新属で新種である首長竜と判明した。 「Futabasaurus suzukii (フタバサウルス・スズキイ)」という学名で正式に記載されたという。


この辺りのいきさつに関しては、NHKテレビでもドキュメンタリータッチで放送もされている。

「石炭・化石館」はいわき市内で発掘された古生代から新生代にかけての化石をはじめ、世界的にも大変貴重な化石が展示されております、また、本州でも最大規模(九州、北海道を除く)の炭田地帯として栄えた「常磐炭田」の資料や、採炭・坑内の風景をリアルに再現した「模擬坑道」などもあります。


 

施設名:「石炭・化石館」

所在地:いわき市常磐湯本町向田3-1

郵便番号:972-8321

電話番号:0246-42-3155

ファクス番号:0246-42-3157

H・P: https://www.sekitankasekikan.or.jp/

駐車台数:普通車66台、大型車20台

営業時間は9時から17時まで。

休館日は毎月第三火曜日と1月1日。

入館料は一般660円。

館内は化石展示室と石炭展示室に大きく分けられている。


  次回は、故郷の神社、「金毘羅宮」のこと、



2021年7月9日金曜日

巨大テーマパーク・「スパスパリゾート・ハワイアンズ」、

 

 

 





● 全国的にも知られているいわき湯本の巨大テーマパーク・「スパスパリゾート・ハワイアンズ」です、

 其の地は東京、首都圏からも意外近く、車で常磐道を走れば2時間足らずで着いてしまう、いわき湯本の「スパスパリゾート・ハワイアンズ」、というところです。

以前に「フラガール」と言う映画が上映され、評判が良かったので小生はDVDを借りて拝見した事がありました。 其れは福島県のいわき湯本という小さな田舎の町で、町おこしのために温泉を利用した南国ムードある巨大リゾートを建設し、其処で併せて女たちがフラダンスのショウを踊ると言う、涙ぐましい努力の物語でした。

 

そして其の地はテレビなどでもPRしている「スパスパリゾート・ハワイアンズ」というテーマパークだったのです。 その後、われら夫婦は数年たってそのテーマパークを訪れる機会が有ったのです。 其の地は真に便利の良いところで、首都圏から常磐道で2時間チョッとの近距離でもあり、おまけにいわき湯本ICから直ぐのところでした。

 

着いた所は巨大なホテル群と右手には、かのカマボコ状の巨大な施設が眼前にありました。

平日でしたのでそんなに込んでいる様子は無かったのですが、若者や子供ずれの家族が多く、われ等年寄り夫婦にはチョッと気が引けるところもありました。 

 

中央の巨大プールの横にはステージがあって、今まさにフラダンスのショウタイムが始まるところでした。 ハワイアンの音楽にあわせてフラガールの映画もどきの可愛い女性たちのフラダンスショウが始まったのです。 思わず、映画の主演だった蒼井 優さんを思い出してしまいました。

 

この巨大ドームの隣には各種の温泉施設もあって我等も十分い堪能しましたが、中でも驚いたのが江戸情緒を再現したという大露天風呂で、何でも世界最大の露天風呂でギネスにも登録されているそうです。 此方の温泉は全て天然の掛け流しで、泉質の良さと豊富な湯量は驚きの連続で、一味も二味も違った温泉が楽しめました。

 

 

【現地情報】

 住所: 972-8326 福島県いわき市 常磐藤原町蕨平50

電話: 0570-550-550

URL: http://www.hawaiians.co.jp/ 

交通: 常磐道・いわき湯本ICすぐ、 常磐線・いわき湯本駅からバス10分、

 

スパのお風呂の案内

https://www.hawaiians.co.jp/onsen/ 

 

温泉ソムリエから

https://traveltoku.com/hawaiians/#i

 

 

 次回は、 いわき市湯本の「石炭化石館・ほるる」

2021年7月7日水曜日

映画「超特急 参勤交代」

 







 ● 映画「超特急 参勤交代」

 2014に全国公開された実在の湯長谷藩の映画・「超特急 参勤交代」

 先ず、物語の展開ですが、江戸中期の頃、将軍吉宗の時代に幕府老中から小藩15000石の湯長谷藩に言明が下る。 「5日以内に参勤せねば藩を取り潰す」と実に無理難題をふっかけられた。 急いでも8日はかかるし、湯長谷藩から江戸までは60里ほど、これを実質4日間で走破せねば間に合わないとされた。

 

先ず時間がない、参勤のカネもない、其れに人もいないこの小藩が、藩主・内藤政醇、ほか総勢7名で急遽、支度を整えて出発することになる。 陸前浜街道(磐城街道)、水戸街道などの山中を駆け上がり江戸城・本丸を目指す。 一行の前には公儀隠密、百人番所の精鋭部隊立ちはだかるが湯長谷藩の運命や如何に。

 

 

因みに参勤交代とは全国の大名を定期的に江戸に出仕させることにより、藩の財政に負担を与え、幕府への反乱をおさえる制度。「参勤」とは一定期間、将軍のもとに出仕することで、「交代」とは暇を与えられて領地へ帰り、国許の政務を執ること。 通常、地方の大名は江戸に1年、国許に1年と、1年ごとに行き来していた。

 

時間もカネも人もいない中、「ないない尽くし」の貧乏小藩は、それでも地方をあざ笑う老中に目にもの見せるため、藩主・内藤政醇らわずか7人で疾走する。 2014年には超高速!映画化も決定(配給・松竹)其の年に映画 が公開され人気を呼んだ。 そしてその後、評判を呼んで続編である「超特急 参勤交代リターン」も公開されている

 

湯長谷藩とか、その本家筋の磐城平藩ってのは実在した藩で、陸奥国湯長谷藩の第4代藩主内藤政醇(ないとう まさあつ)とか、陸奥国磐城平藩の第6代藩主内藤政樹(ないとう まさき;日向延岡藩へ転封)って人達も実在の人物である。 だが、実在の藩名やその時代の人物を使った物語ではあるが、ストーリーそのものは完全なフィクションであり創作そのものでもある。

 

 

監督は本木克英、原作脚本は土橋章宏

出演者は佐々木蔵之介、深田恭子、伊原剛志、寺脇康文、上地雄輔、知念侑李、柄本時生

六角精児、市川猿之助、石橋蓮司、陣内孝則。西村雅彦など

 

尚、主人公の内藤 政醇(佐々木蔵之介)は江戸中期の大名で、陸奥国湯長谷藩4代目の藩主であり、歴史的にも実際に参勤交代の傍ら徳川8代将軍・徳川吉宗にも謁見している。 「忠孝・倹約・扶助」を旨とする藩法を定め、地元では善政を施した名君としても知られている。 帰国直後には享年31の若さで死去しているが、菩提は城下の白鳥山龍勝寺に眠っていて、現在でも墓地の入口付近に輪塔の墓石が立っている。

 

 次回は、巨大テーマパーク・「スパスパリゾート・ハワイアンズ」、

 


2021年7月5日月曜日

いわき湯本 映画・「フラガール」

 

 



 ● 地元のいわき湯本が映画になりました; 映画・「フラガール」  

我が故郷の「いわき湯本」、及び常磐炭礦が映画になってしまったのである、「フラガール」である。  「フラガール」は、昭和40年代の福島県いわき湯本の常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアンズ)が苦難の途上、オープンするまでの実話を背景に描いたものである。

 

炭鉱の娘たちとの友情と再生を通して人の”命の輝き”を描いた映画は2006年の秋、全国一斉に公開された。 小生も早速拝見したが感動身にしみる出来栄えであり、何よりも正確とは言い難いが、地元いわき地方の独特の「訛り、方言」が心地よかった。 物語は、昭和40年代の炭鉱不況下の出来事から始まる。

 

 

いわき市の常磐炭鉱が不況のあおりで大幅な規模縮小に追い込まれた。  危機的状況の中、炭鉱で働く人々は職場を失う現実・苦悩に立ち向かい、町おこし事業として立ち上げたのが常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアンズ)という、突拍子もない娯楽施設であった。

 

この施設の誕生から、炭鉱の娘達が散々多々苦労を重ね、成功までの実話を丹念に描いたもので、ハワイアン・ミュージックと本格的なフラダンスが、若い娘たちのチョットお色気を誘いながら描かれているのが良い特にラストシーンは、センターハウスの温泉大プール横のメインステージで踊るフラガールの面々と、ソロで踊る主役の「蒼井 優」が美しく悩ましく、圧巻であった。

 

 

ところで、このクライマックスシーンでは、ボランティアの熱気も最高潮に達したちう。

周囲の反対もありながら開業にこぎ着けたハワイアンセンターで、蒼井優ら演じるダンサーたちが初めてフラダンスを披露する最後の名シーンであるが、これを撮影するため、現在のステージの脇に、開業当時を再現した別の舞台が設置され、地元のラジオ放送などで募集された約1400人のエキストラが観客役を務めたのである。

 

そして、製作陣が出したエキストラへの指示は「あなたたちは今、初めてショーを見る人の役です」。 つまり、ハワイアンズに日頃から親しんでいる地元の人々に求められたのは、フラダンスを見る「初めての感動」であることは言うまでもなく難題だった。

しかし、撮影と並行して一からダンスレッスンに励んでいた蒼井優らフラガールの切れのある踊りを見た千人を超すエキストラの観客達は、自然と拍手し、歓声を上げていたという。

 

実は、監督の要請として、このダンスを劇中では蒼井演じる紀美子の母が、観客席の端からそっと見守るというシーンを前列から見届けるプランもあったが、母親役の富司純子は「娘の踊り、夢にあれだけ反対した母親が、最後に前に出るのは無理です」と監督に直談判したという。 熱気を帯びたステージと、それを陰ながら見守る母親は、作品を象徴する名シーンとなったのである。

 

そして最後の字幕に『10年後の1976年(昭和51年)常磐炭鉱は完全閉山、延べ4400人余が解雇された。 この40年もの間に常磐ハワイアンセンターに立ったフラガールは総勢318人、平山まどか(松雪泰子演じるハワイ舞踊の教師、現在、常磐音楽舞踊学院最高顧問)は70歳を超えた現在も尚、東北のハワイで彼女達の育成に励んでいる。』と結んでいる。

 

 

監督:李相日(日系3世・韓国人)

出演:松雪泰子、蒼井優、豊川悦司、富司純子、岸部一徳、山崎静代(南海キャンディーズ しずちゃん)ほか

音楽:ジェイク・シマブクロ(ハワイアンミュジックの第一人者)

 

 

実は、公開直前まではそれほど注目されていなかったが、口コミによって評判が伝わり、ロングラン上映をする劇場が多く、特にスパリゾートハワイアンズのある「いわき市湯本」の劇場では連日満員だったという。  最終的には目標を上回る観客動員120万人、興収15億円という大ヒットとなった。  近年滅多に邦画を賛えることのなかった、映画評論家でもあるタレントの「おすぎ」氏が、久々に賞賛した映画としても話題となった。

 

 79回アカデミー賞の外国語映画賞の日本代表に選出されようとしたが、残念ながら本選の第1次選考で落選した。 しかし、第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞に選ばれた。 

かっては大手映画会社4社(東映、東宝、松竹、角川)以外の作品が受賞するのは1996年の「午後の遺言状」(日本ヘラルド映画)以来11年ぶりであるという。

 

30回日本アカデミー賞;最優秀作品賞受賞及びその他の作品・個人賞多数。 

80回キネマ旬報;ベストテンの邦画第一位 、 

読者選出邦画ベストテン;第一位、助演女優賞・蒼井優、 

31回報知映画賞;最優秀作品賞、最優秀助演女優賞・蒼井優 、 

19回日刊スポーツ映画大賞;作品賞、主演女優賞・松雪泰子 、助演女優賞・富司純子、新人賞;蒼井優などなど、 

 

その他にも日本の映画賞の数ある作品の内、殆どすべてが「フラガール」を賞の対象としている。 映画の舞台でもあった「いわき市湯本」にある「いわき市石炭・化石館」では、企画展として「あの感動をもう一度・・!、フラガール展」などが開催されることとなったという。

 

 尚、常磐ハワイアンセンター改め、現在の「スパリゾートハワイアンズ」は、露天風呂だけでなくプールやエステなども併設し、家族連れだけでなく、若い女性たちで連日大盛況だという。  小生も2005年秋、法事で田舎を訪れ、家族、身内一同でスパリゾートハワイアンズで遊興、同ホテルを利用している。  因みに、小生の菩提寺の白鳥地区の白鳥山龍勝寺からハワイアンズまでは凡そ3kmの近さで、車で5分程度のところである。

 

  次回は、 映画「超特急 参勤交代」


湯本温泉の震災の影響

    ● いわき湯本温泉も例外なくの震災の影響を   さて、其のいわき湯本ですが、一般に湯本温泉に来る観光客は、勿論、まずは温泉であり、その後は近隣のスパリゾートハワイアンズやいわき市石炭・化石館ほるる、其れに隣町の白水阿弥陀堂があり、其処で遊覧や観光を行うのが通例です。 更に...