● 東北大震災に見舞われたいわき市の概況、
先ず、発生状況から、東日本大震災は2011年(平成23年)3月11日に発生した大地震で正式には「東北地方太平洋沖地震」ともいい、地震の規模はマグニチュード9. (M)、 最大震度7・0が発生し、この時点において日本周辺における観測史上最大の地震であるとされている。
また、この地震により津波が発生し場所によっては波高10メートル 以上、最大遡上高さ(山や障害物に突き当たって跳ね上がるときの高さ)が40. mにものぼる巨大な津波が発生し、津波による二次的な大災害が発生した。 又、これに伴う福島第一原子力発電所の事故災害も発生し、東北地方を主として関東地方や太平洋沿岸部に壊滅的な大被害を発生させた。
此の東日本各地での大きな地震や大津波、火災などにより東北地方を中心に2万2000人余の死者・行方不明者が発生させた。 ご当地のいわき市内においても人的被害は死者・行方不明者350人ほど出していて、倒壊家屋も含めて其の9割以上は津波のよるものであった。
この様に沿岸部を襲った大津波の襲来によって街を破壊し尽くす様子や福島第一原子力発電所における原子炉事故と炉心溶融(メルトダウン)の発生は、言うなれば地球規模での大きな衝撃を与えたとされているが、此の大震災が発生した日付から因んで、呼び名を3.11(さんてんいちいち、さんいちいち)などと略称することもある。
● 実家であるいわき湯本の場合、
さて、いわき湯本の被害状況であるが、地震の様子は震度6程度であり、全壊の家屋や一部破壊があったが、津波に関しては海岸より遠い内部地域にあったために直接的な大被害は無かったが、その後の原発事故後の風評被害など間接的な被害を被っていたことも事実であった。
其の時に、筆者自身もいわき市内に本家や親類等が居りますので連絡を取ろうとしたが、震災の当日、翌日もテレビを見ながら気が付いたのですが、普通電話や携帯電話、それにSNSなどのネット関係もつながらず、外部との連絡は非常に制約されていました。 そして数日してやっとのことで常磐白鳥町の本家でもある親戚へ電話が繋がったので状況を伺ったところ、「一回目の地震で家本体がやや傾いた感じであったが、すぐに発生した同程度の2回目の大地震で、元に戻ったようだ」というような、なんとも不思議な感じの妙な話を聞いた。 更に、「今現在は断水しているが、広報車などの知らせで間もなく復旧はするらしい。 それにしても此処内陸部はそうでもないが、海岸部の小名浜地域などは津波で相当に被害をうけているらしい」と言う事を聞いた。
何れにしても、親類一同は結果として人身、家屋ともに無事だったということで一安心はしました。 ただ、菩提寺である龍勝寺の墓地の墓石が横向きに変形しているから、直ぐにでも治す必要があるとも言われてしまいました。 そしてその後で、筆者は1ヶ月ほど過ぎてから田舎を訪れました。 いわき湯本インターを降りてから直ぐ近くの白鳥町の本家に向かおうとしたが先ず驚愕したのは、メイン道路が未だ地震による影響で路面が波打っていてマトモに走れなかったことです。 その後、お寺へ向かって墓石を修正してお参りした後は、沿岸部の様子を見に行ったが、小名浜港の地震と津波の状況は惨状を極めるものでした。
● いわき市沿岸部の影響は、
小名浜港の岸壁にある魚市場周辺は誠にひどい状態で、市場の前には大きな漁船が何隻も乗り上げていましたし、トンネルの中には小舟が横たわっていました。 又、川には乗用車が数台沈んでいて、畔には3、4台も車が折り重なっていましたね。
埠頭地区を走る産業道路は亀裂や段差が随所にあり、車がまっすぐに走れないほど色々なものが散乱していました。 ここが道路だとは思えないほど泥や砂利が蓄積し、車線もまったく分かりません。 津波で流されたタイヤ類、破壊されたプレハブ小屋、常用車、トラックの横転している姿、港建設のための鋼管杭を積んだ巨大な台船など、港に関係する様々な物資や物が道路をふさいでいましたね。
そして、今では観光名所にもなっている小名浜港のにぎわい空間であるアクアマリンパークともいわれるアクアマリンふくしま、いわき・ら・ら・ミュウ、小名浜美食ホテル、小名浜潮目交流館等のいずれもが大きな被害を受けていました。
その後は、海岸沿いを散乱物を避けながら、中之作港、江名港、豊間の海岸など目を覆うような惨状を見ながら海岸通りをユックリと北上して豊間の灯台(塩屋崎灯台)を目指しましたが、進入路は完全に閉鎖されていました。 しかた無しに国道6号線でから湯本まで戻ってきましたが。
次回は大震災と湯本温泉、
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