● 我が青春の故郷・・Ⅲ
前述したように、品川白煉瓦は常磐線の湯本駅前にありましたが、其の湯本駅から常磐線の引込み線を利用して、材料の搬入や製品の輸送を直接行っていたのでした。 現在は旧工場からいわき市常磐岩ヶ岡に移転しているし、そして、品川白煉瓦は品川リフラクトリーズ株式会社と社名を変更しているのですが、会社の本社所在地は東京都千代田区大手町のビルの中にあります。 旧湯本工場の現在の駅前地区は、右手方向に商店街が広がっていてお土産品店などの商店が並んでいます。
工場の社宅は場所については前述していますが、いわき市常磐関船町迎というところになっていて大正時代に会社の社宅として建設されたもので、この住宅は二棟単位に正対している所謂、棟割長屋で、大正時代に建てられたとされています。 大正時代の当時としては水洗トイレが完備しているモダンな建物で、周囲の人々を羨やましがられたらしい。
二棟続きの平屋の住宅が凡そ200棟位、同じ向きで並んでいて、中央部には社員や其の家族のための施設である共同浴場があったのです。 浴場の二階は座敷の大広間で、各種集会や宴会場、更には普段は我等子供たちのための勉強会、催し物などが行われたりして思い出深いところある。 当時の様子が、現在でも夢に出てくることがあるのです。
浴場の半地下にはボイラーの燃焼室があって、そこは結構広いスペースがあり、冬の寒い時期などは子供たちのよい溜まり場兼遊び場となり、時には火の番をして石炭をくべたり、運んだりと適度にお手伝いもしたもんであった。 尤も、管理人のおじさんも鷹揚な人で、子供には特に優しかったようでした。
ただ、こんなこともありましたね。 親父が風呂は入りに行くと、帰りは冬の寒い時期でも脱いだ洋服を脇に抱えて、フンドシのまま帰宅するのが常であった。 そして、同じ造りの建物が並んでいたため、時折、ぼんやりしている時などは他所(よそ)の玄関へ入ってしまったり、はたまた、自宅を通過してしまって、お袋に「どこまでゆくの・・!!」と、咎められたりして、笑いの種を振りまいたりしていたのを記憶している。
其の品川社宅は、現在は旧住宅、及び浴場は取壊されて鉄筋コンの集合住宅が2棟建つのみとなっている様子である。
次回、 昭和天皇の品川白煉瓦、御訪問・・?、