2021年9月30日木曜日

我が家と「じゃんがら」

 



 

 

● 我が家でもお盆の時期に「じゃんがら」を、

 我が家の田舎、実家でも有る福島県いわき地方の夏の風物詩として、独特のお祭りやイベントということにになりますが、同時期に行われる「いわき盆踊り」は磐城地方独特の踊りで同じ時期に行われ、大勢の人手や露天商なども並びますが、此方の「じゃんがら念仏踊り」個々の小さなイベントで、個人宅を訪問し、厳かにも賑やかに行うことが原則になっています。 その為にお祭りのような大勢が集まってワイワイするものではありませんし、従って、会場の楽しみや露天商などはありません。

 

 いわき地方の伝統芸能である「じゃんがら念仏踊り」に関しては、先ず私事になりますが私は首都圏の神奈川県内に住む者ですが、田舎であり実家は福島県の「いわき湯本」というところです。 従って、湯本には両親やご先祖様が眠る菩提寺参拝の折に、年に1から2度は田舎へ訪れます。 此の時に夏場の旧暦のお盆のシーズンになりますと、いわき名物の「いわき盆踊り」や「じゃんがら念仏踊り」というイベントが有り、以前は折に触れて、学友や地元の友人たちと楽しんだものです。 そして、いわきのお土産として自宅や会社、付近の方々にお配りするのが「じゃんがら・自安我楽」という、いわき地方の名物の甘いお菓子なのです。

 いわき湯本をはじめ、周辺地方各地には古くから伝わる独特の伝統芸能である「じゃんがら念仏踊り」がありますが、其の姿や格好は、お揃いの浴衣姿にねじり鉢巻きの襷掛け、其れに足には白足袋を履いた姿の若い男衆が、手持ちの鐘と太鼓の音にあわせて、独特の歌を歌いながら踊りを加えて仏前に披露します。 太鼓や踊りの周期はである一流れが凡そ20分程度で、太鼓打ちの3人を中心に10人前後の男衆がダイナミックなリズムに併せて優雅に力強く踊ります。 踊り歌う場所は、その年の新盆の家の玄関前とか庭先、其れに寺院の境内やお薬師さん、お不動さん、其れに観音堂などで繰り広げられます。

 

  

実は、我家でも実父が亡くなった時に新盆に併せてじゃんがら念仏踊りをお願いしましたが、新盆のお宅に近づくと鉦が「ジャンジャカ、ジャンジャカ、ジャンジャンジャン」と鳴らしながら、又、太鼓は「スンドコズンドコ、ズンドコドン、ズンドコドン」と囃子ながら庭先などへ参じてきます。 其の後は輪になって踊りながら、暫らくして太鼓衆が前列なり、鉦の方が後方に下がって、愈々、鉦と太鼓と笛や踊りと謡で、念仏踊りが始まるのです。 

その後、終わった後は広い屋敷では全員を座敷に上げて酒、肴で御もてなしを行なうのです。

 

その念仏踊りの中の「謡」というのは歌詞のことで、記憶にあるのは、「盆には米の飯 おつけてばなす汁 十六ささげの よごしはどうだいなーー、」とあります。 その意味はお盆の時期ぐらいは、白い飯で味噌汁にはナス汁、其れに十六ささげの豆はゴマよごしにして食べようじゃないか、という意味になり、普段は麦飯なのだからお盆ぐらいはチョット贅沢しようよと、因みに「十六ささげ」とは豆のことでサヤインゲンよりもうちょっと長い豆のことで、サヤの中には十六粒の豆が入っている。 

 

 「じゃんがら」は「自安我楽」とも記して、文字とおり「自ら安すんじながら我も楽しむ」という意味があります。 浴衣姿の若い衆達が、鐘と太鼓と独特の踊りで、仏さん(大衆でもあります)を慰めるのです。 そして、いわき市内や地方では、単に「ジャンガラ」と呼んでいて親しまれ、主に旧盆の毎年813日から16日までの4日間行われ、いわきの夏のイベント、風物詩として広く知られています。 其の主体は飽くまでも裏盆供養か昨年に亡くなった初盆の仏さん(いわき地方では新盆ともいう)を供養するのが本来の目的です。 

いわき市の代表的な「無形民俗文化財」にも指定されているのです。

 

 

 

 次回は、 いわき湯本の銘菓・「自安我楽」

 

2021年9月29日水曜日

じゃんがら念仏踊りと琉球エイサー

 








● じゃんがら念仏踊りとエイサー、其の発祥

 じゃんがら念仏踊りはいとつ頃から、 また如何なる理由で踊られるようになっ

たのだろうか、これは勿論、宗教の祈りの形態であるが、其の中の1つの説として、「袋中上人」発祥説というのがあります。 袋中上人現在のいわき市常磐西郷町の出身で、江戸期が始まった慶長年間に仏法を学ぶため中国(当時の明)に渡航することを決意するが果たされず、琉球へ渡る事になってしまう・

 

この時に、袋中上人は琉球に3年間滞在することになるが、そこで琉球の民衆に浄土宗の教えや念仏踊りを伝えたとされています。 その後、 故郷に戻った袋中上人は琉球で伝えた念仏踊りを更に「いわき」の地でも広めたとされています。 琉球と言えば「エイサー」という念仏踊りのようなものが現在でも盛んに行なわれています、この袋中上人が布教活動の際に教授したとも言われています。

 

このエイサーは、沖縄県と鹿児島県奄美群島でお盆の時期に踊られる伝統芸能で、この時期に現世に戻ってくる祖先の霊を送迎するため、若者たちが歌と囃子に合わせ、踊りながら地区の道を練り歩くという法事なのです。 地域によっては呼び名をヤイサー、エンサー、とか念仏廻り(ニンブチマーイ)とも呼ばれていて、いわき地方の念仏踊りに似ているところもあるとされています。

 因みに、沖縄のエイサーは、いわきの盆踊り同様に沖縄で古くから伝わる伝統芸能の一つで、お盆の時期はもちろん、運動会や披露宴など、さまざまなイベント、お祝い事にも用いられる沖縄県民にとっては大変馴染みのある演舞です。

お酒の席で酔いが回ってくると、鳴り物一本(三線)で両手を振り上げながら踊りだす姿や風景を見たことがありますね。 

 

沖縄のお盆の時期では、ウークイ(お送り)の夜に、ご先祖さまが寂しい思いをせず元気に帰れるようにみんなで踊ってお見送りをしたのが、「エイサー」の始まりといわれています。 いわきのジャンガラとチョット異なるのは、やはり鳴り物の主体が三線(三味線)であるということですね。 更に異なるのはいわきのジャンガラはお盆の時期だけに行うもので、其れ以外は特別な場合を除いては、普段の日は一切行われてはいません。

  いわきの「じゃんがら念仏踊り」の最盛期は江戸時代とも言われていて、当時の藩主であった内藤氏の援護も有って各地に広がってゆくが、其の地域と言うのは先達で当地方を治めていた岩城氏であり、この領主のエリアと一致するとされていて、それが、現在のじゃんがら念仏踊りだとしているのです。 

 

  

● じゃんがら念仏踊り中興

 一方、じゃんがら念仏踊りは一時的に廃れるが、江戸中期の頃にいわき地方は不凶不作に見舞われたために、当時のいわき(磐城)藩の藩主である内藤氏が地元の窮状を慰めるために推奨して行わせたものとされております。 其の大本の起源は、当時、浄土宗の高僧であった祐天上人という修行僧が当地のいわき市内の出身者でもあり、此の時にいわき地方の人のために念仏踊りを広めつつ有ったとされ、近所の村人達の浄土宗と同時に慰安と念仏の普及を兼ねて「南無阿弥陀仏」を唱えながら歌の節にあわせて踊りと共に唱えさせたのが始まりというする説もあるようです。

 

「じゃんがら念仏踊り」を当地方に広めたとされる高僧・祐天上人は、実は当地出身でもあり幼少の頃は東京芝の増上寺や成田山新勝寺に参詣し修行したとされています。 以後は其の力量を発揮しながら往年は徳川将軍家の信頼を受けて増上寺の法主にもなった人物とされています。 

尚、祐天上人は現在の目黒区の祐天という地域で入滅したとされて、現在でも私鉄の駅名でも知られる祐天寺駅があり其の近くには弔った「祐天寺」もあり、そして其の地域の町の名前として目黒区祐天町というところもあります。

 

 ところが、「じゃんがら念仏踊り」は、明治6年(1873年)になって明治政府の政策の一環として磐前県より「禁止令」が出されます、其れも全面禁止です。

其の直接の禁令とした理由は、「 磐城の風俗としては念仏踊りと称し、夏から秋にかけ、仏の名を唱え、太鼓を打ち、男女が群れ、夜通し遊び歩き、中にはどうかと思う醜態があると聞く。 文明の今日にあるまじく、悪い慣習であるので、本年より、念仏踊りを禁止する。 大人から子どもに至るまで、よく云って聞かせるように。」 ちうお達しである。 

 

上記のように尤もらしい理由をつけたが勿論、此れには明治新政府が国家政策として進めた「神仏分離」や「廃仏毀釈」運動の影響があるのは確かで、天皇制が絶対の明治政府は、日本の伝統であり天皇の皇祖高祖である神道を重んじたからで、神意を高めるために神をないがしろにしていた仏教を排斥したのであったのです。

 

 

 次回は、我が家でもお盆の時期に「ジャンガラ」を、

2021年9月26日日曜日

じゃんがら念仏踊り

 


 









● いわき名物の「じゃんがら念仏踊り」 

夏のいわき地方のお盆の風物詩として「いわきじゃんがら念仏踊り」という年中行事もあります。 こちらはいわき盆踊りとは異なって、飽くまでも仏さんの供養のために行われるもので、夏のお盆の時期のイベントとして各会場や公民館などで行われますが、主体は飽くまでも昨年に亡くなった仏さんを供養するのが本来の目的です。 

 

其の謂れは、江戸期の時にいわき地方は不作に見舞われたために、其のいわき藩の窮状を慰めるために特の藩主・内藤家が奨励したものだそうで、其れが、現在に伝わっていて、いわき地方は夏になると新盆先で祈りのために披露されるのが「じゃんがら踊り」だったのです。 「じゃんがら」は「自安我楽」とも記して、「自ら安すんじながら我も楽しむ」という意味があります。 浴衣姿の若い衆達が、鐘と太鼓と独特の踊りで、仏さん(民衆達も含めて)を慰めるのです。

 

 

 

 

● じゃんがら念仏踊りの経緯、

 

じゃんがら念仏踊り(以下、ジャンガラ)は、太鼓と鉦(かね)、および一部で笛そして唄と踊りによって構成されたいわゆる伝承芸能で、一般的には「念仏踊り」と盆踊り、双方の要素を持ったものだと考えられています。 現在は青年会や保存会、さらには子ども会など、いわき地区には115もの団体によって伝承され(2016年現在)、新盆の家を巡る他にも地域の祭礼、各種イベントなどでも盛んに演じられています。

 

また、ジャンガラは地域的には現在のいわき市全域に広がっていて、更に北部は双葉郡(双葉町)から南部では茨城県北茨城市大津などでも伝承されていて、その分布をみると、中世の鎌倉時代の岩城氏の勢力範囲とほぼ重なっているとされ、福島県の浜通りは、北の「野馬追文化圏」と南の「ジャンガラ文化圏」に分かれると考えることもできるでしょう。

 

ところで、前記したが岩城氏といえば陸奥国岩(石,磐)城郡(福島県いわき市)の中世平安期からの豪族で、平安時代の末に岩城郡(石城郡)に土着したのがはじまりとされています。  鎌倉初期にはもと岩城郡内の好嶋(よしま 好間)荘の地頭となり,一族が荘内および岩城郡内の村々に分かれて定住したとされ,それぞれの村の名を苗字とする地頭になったとされている。

 

 

「じゃんがら念仏踊り」の発祥や歴史については定説としては判明されてはいない面もあるが、変遷や盛衰を経て今日の姿になったとされています。 元より、念仏踊りというのは浄土宗より分派した時宗という宗教系体があり、これは通常の念仏から踊りを加えた新しい祈りの形式ともされていて、其処から念仏踊りが生まれたともされています。 鎌倉時代の藤沢市出身の一遍上人がこの時宗を起こした人物とされ、この上人が全国を行脚しながら祈りの形態ととともに布教活動に勤しんだともされています。

 

 次回は じゃんがら念仏踊りと沖縄エイサー、其の共通性



2021年9月20日月曜日

いわき地方、いわき湯本の「盆踊り」

 

 

● いわき地方、いわき湯本の「盆踊り」

 

この「いわき盆踊り」、わが湯本温泉では、以前は湯本の駅前と観音山通りで行なわれていたが、今では駅前では盆踊りは廃止されて夏のイベントとしては、温泉街を会場に「子種神社祭典」や「やっぺおどり」が催されています。 

「やっぺおどり」は、「やっぺ、やっぺ、やっぺな~」と、青森のねぶたの掛け声に似てますが、この「やっぺ」とは、いわきの方言で「やろう」とか「やりましょう」という意味を表わし、何かの行動のスタートを意味していいます。「やっぺおどり大会」は8月の初旬に行われ、駅前通りを中心に湯本温泉街一円を踊り流します。

 

又、天王崎の観音山の盆踊りは昔から今でも盛んで、やはり8月のお盆の時期に観音山通りの「さはこの湯」周辺の温泉街通りにて「仮装盆踊り大会」として催されます。 観音山は、昔から山そのものが観音様として信仰されていますし、観音山の盆踊りは歴史的にも磐城平藩主 内藤公が寄進した山上の観音堂前で、観音様のお祭りとして人々が集い踊っていたのが起源となるそうです。 かつては老若男女が集い、夜を明かすほど踊り興じていましたし、盆踊りの後は、いわきの伝統芸能、「じゃんがら念仏踊り」を催され、その後、送り火である花火を打上げ お盆で此の世に戻ってきていた精霊達を再び極楽浄土へとお送りするのでした。

 

 

一方、隣町の内郷地区では、駅前で「日本一の回転やぐら」の下で、いわき盆踊りが挙行されます。 電光で光り輝きながらゆっくりと回る「いわき回転やぐら」は、全国のやぐらを調査した結果、「日本一大きな回転やぐら」であることが判明し、無数の灯りや提灯が回転する光の輝きは唯一無二の夜の情景を宴出、演出しています。

 

内郷地区は「常磐炭田発祥の地」でもあり、かつて炭鉱の町として栄えたちいきでもありました。 盆踊りのその起源としては、通常のお盆の祭事とともに当時の炭鉱事故で亡くなった人々の慰霊を目的に開催されたことが始まりとされています。

 

盆踊り会場の常磐線の内郷駅前広場は「正調・いわき盆唄」の歌と踊り、そしてお囃子とともに心地良い音色に包み込まれ、ゆっくりと回転するやぐらを中心に老若男女による幾重もの踊りの輪が広がっていきます。 闇に悠然とそびえるやぐらの迫力はさることながら、無数の灯りや提灯が回転する光の輝きは唯一無二の夜の情景を創出しながら、会場周辺の道沿いには数多くの屋台が並び、多くの人で賑わう姿も日本の夜の風景と魅力を伝える優美な光景でもあります。

 

 

いわき盆踊りの基本形式は、四角いやぐらの上で鳴り物が大太鼓、小太鼓、笛に鉦、それに正調いわき盆歌の歌が絡みます。 お囃子で歌は比較的短いが、横笛を中心とした鳴り物は中々の迫力で、この調子に乗って踊り手が輪になって踊ります。 踊りの振り付けは短調で特に特徴的なものではなく、中にはダレて踊っている姿は、チョットいただけない気持ちになる時もありますが、これは筆者の感想かもしれません。

 

 

「正調・いわき盆唄」

        

チョイコラコラ チョイナンダ

ヤー いわき平で ヤーレ (ハヨーイヨーイ)

見せたいものは (チョイナンダ― チョイチョイチョイ)

ヤー 桜つつじとヤーレ (アヨーイヨーイ)

ヤレサアー 盆踊り (チョウサーア、チョイコレカラ、チョイマダマダ)

 

来るな来るなの 

勿来を超えて 

会いに来たぞえ

平まで 

         

平五万石

尼子の橋で 

待てば出てくる

お月様 

 

 

 

 

 

● いわき市の「いわきおどり」の誕生、

 

また、いわき市では「いわき盆踊り」の他に、「いわきおどり」というのが別にあります。 何でも、市民のだれもが気軽に参加して、楽しく踊れる新しい「いわき民謡民舞」として、昭和5610月に市制施行15周年を記念して制定されたそうです。 実は筆者自身はこの時期は既に都会へ出ていたので、出来たのも知らなかったし、勿論、踊りを見たり実際に踊ったりはしてはいません。

 

リズムや歌は、「じゃんがら念仏踊り」が基礎になっているとされていて、地元民になじみが深いことや、観光面でも有名になって定着していることが挙げられ、類似点として激しい太鼓や鉦(かね)のリズムが若者の共感を呼ぶことなどが挙げられましとされているようです。

 

「いわきおどり」の歌詞の代表的なものには以下の通りで、いわきの良いところがたくさん詰まっている内容です!

 

「いわき七浜 太平洋を 抱いて 広さは日本一」

「北は仙台 南は東京 関の勿来に舞う 桜」

「湯本ちょいと出りゃパノラマライン 月の丸山(湯の岳) 湯の煙り」

「泣くも笑うも幾年月の 愛の灯台 塩屋埼(ひばりの歌)」

 

 

踊りは、概ねは常磐線のいわき駅の駅前通にて、旧暦の七夕祭りの8月7日に行なわれるようで、おどりの形は、ほぼ直線的なおどりながらの行進になり、地域の同好会やグループサークルなどが一つのチームを形成して踊る形式です。

踊り方は単調な4拍子が基本になって、足の交互の動きや其れに併せて腕を動かしながら、45度の角度を繰り返しながら前方へどんどん前進するスタイルで、4呼間4拍子の中で振り付けられています。

 

 

  次頁は、「いわきじゃんがら念仏踊り」

 

2021年9月13日月曜日

盆踊りは仏教の念仏踊りから由来

  


 ● 全国各地の盆踊りは仏教の念仏踊りから由来

 はじめに先ず、盆踊りの由来や起源についてですが、今ではすっかり夏のイベントの1つとなっていますが、昔はただの踊りではなく神聖な仏教行事といえます。 盆踊りの由来は、仏教の「念仏踊り」だとされていまし、この念仏踊りとは、自分自身で念仏を唱えながら踊るもので、後に踊る人と念仏を唱える人が分かれた「踊り念仏」として発展したとされます。 今では民俗芸能とお盆と結びつき、現代の盆踊りになります。


お盆の時期になると、8月13日(旧暦では異なる)先祖の霊を迎い入れ、8月15日に先祖の霊と対話しながら踊って、16日にはご先祖様の霊を送り出すという流れです。 時期的には室町時代から始まったものであり、およそ500年の歴史を持つ厳かな行事の1つといえます。 元祖は、やはり鎌倉時代の一遍上人が全国に広めたとされて、これらはじゃんがら念仏踊りと共通するところがあります。


盆踊りの特徴として、基本的には誰でも気軽に参加できるというイベントです。


地域によってもことなりますが、踊り手が決められている場合もありますが、ほとんどの場合、大衆参加がOKとなっています。 そのため「初めは踊る気がなかったけど、見ていたら踊りたくなった」と途中参加する人も多いです。 これは、阿波おどりの文句に「踊る阿呆に観る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン」ということになりますね。


 

 ● 夏の盆踊りは人々の解放の場、

 このように、今では盆踊りはご先祖様のおもてなしをするという意味合いのほ次第に薄れてきて、地域の人々との交流という要素が強うくなってきました。  これは家を出て独立している人が久しぶりにお盆の時期に帰省し、盆踊りを通じて旧友と再会したり、近所の人々と楽しく会話して踊ったりすることで仲を深められるからです。 

 

また、時代が遡っても男女の出会いの場としての機能も果たすようにもなっていたとされています。 昔は、多くの男女が一緒に集まるイベントはほとんどありませんでしたし、当時の人々からしてみれば、心までも踊るような気持ちだったはずですし、若い男女の出会いの場、今で言う婚活の場でもあったようです。 つまり、お祭りを利用した集団合コンの場というところでしょうか。


このことは江戸期の初め頃から顕著に現れてきたとされ、特に江戸では夏の暑い時期になると連日踊り明かしながら、次第に盆踊りは性の解放のエネルギーと結びついていったともされています。 日本では性は神聖なものとされ、神社の祭礼を始めとし、世俗的の宗教行事の中心に非日常的な聖なる性があるべきと考えられるようになります。 盆踊りは性の開放エネルギーを原動力に性的色彩をも帯びるようになたようです。


 又、盆踊りは未婚の男女の出会いの場にとどまらず、既婚者らの一時的な肉体関係をもつきっかけの場をも提供していたともいわれ、祭りや踊りの合間や終わった後では、ざこ寝という男女が一堂に泊まり込んで乱交を行う風習も起こり、盆踊りとも結びつきが広まって「ざこ寝堂」というのが殆どの全国の農村には存在したといわれてます。 これは昭和時代に至っても続いていたとされ、いる意味では現代にも続いているのかもしれません。


 盆踊りは、更に面白いのは昔は地方独特の音頭や民謡などに合わせて踊っていましたが、今では一本調子の同じ調子で、歌の文句を変えながら踊るという形態がほとんどになりました。 因みに、我がいわき地方でも「いわき盆唄」の一本調子に合わせて皆さん踊っています。 そして時にはウイットに富んだ歌やチョットエッチポイ歌も飛び出したりもします。 踊りては、笛や太鼓の間奏の合間に「ちょい姐ちゃん今晩わ」、「今晩どころか毎晩よ」、さらに「毎晩どころか日に3度」などと、想像を膨らますようなお囃子歌も出てきます。 


  次回は、いわき湯本の「盆踊り」


 


2021年9月6日月曜日

福島県のいわき地方の夏祭り、イベント

 







● 福島県のいわき地方の夏祭り、イベントについて、

いわき地方の賑やかな夏祭りに二大イベントがありますが、其の特徴や概要について述べてみましょう。 

福島県はいわき(磐城)地方の「夏祭り」ですが、このあたりは夏の風物詩、夏祭りとして「いわき盆踊り」や「じゃんがら念仏踊り」が催ようされます。 いわき盆踊りは旧のお盆のシーズンで8月の13日から16日のあいだに行われるものです。 



いわき盆踊りは、民謡・「いわき盆歌」に併せて組櫓(くみやづら)を中心に老若男女が輪になって愉快に、活発に夜の6時ころから11時頃まで行われます。 会場は、各地域の代表的な場所で其々が趣向を凝らして行われますが、筆者の出身地である常磐線のいわき湯本駅前や内郷駅前、いわき平駅前でも行われます。

又、じゃんがら念仏踊りは、催し物としては各会場や公民館等でおこなわれますが、此の踊りの基本として、主として各家庭の新盆のお宅で今年亡くなった仏さんを供養するために鐘と太鼓で踊りながら行うものです。



● 「いわき盆おどり」についての紹介

いわき地方では昔から毎年、旧のお盆に時期になると、必ず訪れるのが夏祭り、夏のイベントとしての「いわき盆踊り」です。 歴史的には宗教的な意味合いから時宗の念仏踊りから始まったとされていて、此れが一般大衆に広がって現在の形になったとされています。 


いわき地方では常磐線の各駅前で広く行われますが、中心に大きな櫓を設えて太鼓に鐘と笛の音に併せて、歌い手が「いわき盆歌」に合わせて唄い、踊り手は櫓を取り囲むように踊ります。 踊り手は主に浴衣姿で身を装い、「ちょぃさーーあ、ちょぃどっこい」と調子や掛け声と共に踊りまわります。 勿論、観光客の皆さんも旅館の浴衣や普段着でも参加できますし、踊り方自体は一本調子の簡単なものですから、誰でも直ぐに踊れます。



「いわき盆歌」の主な歌詞、


「いわき七浜 太平洋を 抱く姿は 日本一」、

「北は仙台 南は東京 関の勿来(ナコソ)に 舞う桜」などです。




ところで、夏祭りのイベントで盆踊りといえば、全国津々浦々、今では日本国中でおこなわれていますし、地方によってはいろんな踊りの形態や特徴がありますが、これほどバラエティに富んだ楽しみ方は、他にはないんではなかろうか。 

ただ、皆さんも地元の「盆踊り」に参加したことはあると思いますが、盆踊りは自然発生したものではなく、それなりの宗教的な意味合いと云うかそれなりの理由があったのですね。 これは、じゃんがら念仏踊りと底流はどうも共通性があるようです。 ここで、またまたチョット掘り下げてみましょうか。




 次回、盆踊りは仏教の念仏踊りから由来

2021年9月1日水曜日

勿来の関所は存在しない・・?、

 

 エエッ、 勿来の関所は存在しないって・・?、

 

案内板に従って坂を上り切ったところの勿来の関公園には、勿来の関碑と平安時代の武将、源義家の像が建っている。 春ともなれば植樹された桜が咲き誇るが、往時は、自生していた山桜が見事な花を咲かせていたのだろう。

 

源義家だけでなく、紫式部や小野小町、紀貫之など有名な歌人が勿来の関を詠んだ。 その数は確認されているだけで192首に上るという。 江戸時代が始まった1600年代前半には、歌に詠まれたイメージから、東北の太平洋沿岸の海の見える高台に勿来の関があったことが確かめられ、其の直後に磐城平藩が桜を植え、祠を建てたと考えられている。

 

勿来の関公園内にある勿来関文学歴史館学芸員の馬目聖子氏は「勿来の関は歌人たちの歌のイメージに支えられてきた関だとも思われます、と説明する。

 

 

「勿来の関」、其れは江戸初期のころから陸奥の国へ向う人達で、現在の茨城県境を越えて訪れた旅人達を先ず迎えたのは、陸前浜街道の福島県側の南端に位置する関田宿(現在のいわき市勿来町関田)だった。 其の近くに勿来の関があって、多くの歌人がこの勿来の関を題材にした歌を詠んだともいわれる。 

 

その後、明治時代初期ごろからは文人墨客や文学ファンが訪れるようになり、現在も観光客の姿が多い。 いわき市の名所の一つとしても知られるようになったが、今現在では関所跡としては残っておらず、実際に関所として機能していたかどうかは定かでないともいわれています。 後世に関所らしいものを造作はしているものの、現在、考古学的な発掘調査を根拠とした所在地の推定はなされていない。

 

 次回は、いわき湯本の祭りやイベント

 

「勿来の関」を詠んだ古(いにしえ)の歌人達

 


● 古(いにしえ)の歌人達は多くの「勿来の関」を詠んだ

 そして歌枕としても名高い「勿来の関」は、古来、“やんごとなき”人々より愛され、詠まれているのである。

 

「 みるめ刈る 海人のゆきゝの 湊路に 勿来の関も わが据なくに 」   

新勅撰和歌集 小野小町  

《海人が往来す湊路に来ないでな どという関は設けていないのに最近あなたはは逢いに来てくれないのね》

 

「 惜しめども とまりもあへず 行く春を 勿来の山の 関もとめなむ 」    

夫木和歌集 紀 貫之    

《いくら惜しんでも過ぎて行く春だけど勿来の関よどうか春を止めて欲しい》

 

「 なこそとは 誰かはいひし 云はねども 心に据ふる 関とこそみれ 」   

玉葉和歌集 和泉式部    

《逢いに行けないと言う恋人の返事に《来ないで なんて誰が言ったと言うの いいえ誰も言ってはいないわ あなたが心に関を作って私に逢いに来ないだけだわ》

 

「 ほととぎす 勿来の関の なかりせば 君が寝覚めに ますぞ聞かまし 」    藤中将実方

 

「 吹く風を 勿来の関と 思へども 道も背にちる 山桜かな 」   

千載和歌集 源 義家    

《花を散らす風は「来るな」と言う勿来の関には来ないはずだが何と道いっぱいに山桜が散っているとは・・・》

 

「 陸奥の 信夫の里に やすらいで 勿来の関を 越えぞわずらふ 」    

新勅撰和歌集 西行   

《誰にも言えぬ人目を忍ぶ恋に「来るな」と言う関を越すべきか越さざるべきか迷い悩む私です》

 

「 聞くたびに 勿来の関の 名もつらし 行きては帰へる 身に知られける 」   後嵯峨天皇

 

「 越えわぶる 逢坂よりも 音に聞く 勿来は難き 関と知らなん 」    

新千載和歌集 藤原道綱の母    

《越すのに難儀する逢坂の関よりも更に噂の高い勿来の関の堅固さは貴方もご存知でしょう 私は勿来の関なの 口説いても 無駄よ》

 

「 よひよひに かよふ心も かひぞなき 勿来の関の つらきへだては 」   

朝五百番歌合せ 大僧正頼意

《毎晩逢いに言っても貴女は合ってくれない 貴女のガードは勿来の関のようなのがつらい》

 

「 名にしおはば 勿来といふと わぎもこに 我てふこさば ゆるせ関守 」   

堀川百首 藤原基俊

《噂では絶対に通さないと言う堅固な勿来の関の関守よ 彼女に逢うのをみのがしてくれ》

 

「 いとはるゝ 我が身勿来の 関の名は つれなき中や 初めなるらん 」   

新続古今和歌集 藤原為氏

《なぜか貴女に厭われる私 勿来の関の由来もこんなつれない二人の仲からきてるのかな》

 

「 恋侘びて 昨日もけふも 越ゆべきに 勿来の関を 誰かすゑけん 」    

堀河百首 河内

《いつだってあなたに逢いたくて恋わずらうのに 勿来の関設けて逢えなくしてるのは誰なの あんたでしょう》

 

「 なこそせに 勿来の関は 行きかふと 人も咎めず 名のみなりけり 」   

源 信明(没61歳)

《名高い勿来の関だから簡単に行ったり来たり出来ないと思ったがそんな事は無いんだ    名前だけで全然人を咎めないよ》

 

「 都には 君に相坂 近ければ 勿来の関は とほきとを知れ 」   

続千載和歌集 源 頼朝

 

「 聞くもうし たれを勿来の 関の名ぞ 行あふ道を いそぐ心に 」  

新拾遺和歌集 綬二位為子

《勿来の関の名を聞くのもつらい事だわ 彼に逢いに道を急ぐ私に「来てはならん」と言う名の関のあるのは》

 

「 東じは勿来の関も あるものを いかでか春の こへてきつらん 」   

後拾遺和歌集 源 師賢

 

「 都人 恋しきまでに おとせぬは 勿来の関を さはるにやあらん 」  

永久百首 源 兼昌

《都のあなた こんなに恋しく思っているのに 便りさえくれないのは 勿来の関のせいにしてなの?》

 

「 あずま路に ききし勿来の 関をしも 我が故郷に 誰かすゑけん 」   

季花集 宗良親王

 

 

  

次回は、 何・・!、勿来の関所は存在しない・・?、

 

湯本温泉の震災の影響

    ● いわき湯本温泉も例外なくの震災の影響を   さて、其のいわき湯本ですが、一般に湯本温泉に来る観光客は、勿論、まずは温泉であり、その後は近隣のスパリゾートハワイアンズやいわき市石炭・化石館ほるる、其れに隣町の白水阿弥陀堂があり、其処で遊覧や観光を行うのが通例です。 更に...