2021年8月23日月曜日

いわき市の詩人・「草野心平 Ⅱ」

 



 

 

● わが故郷のいわき市の詩人・「草野心平 Ⅱ」

 更に、草野心平のこといなりますが、

  先ず、詩集「第百階級」の扉には、四行の題詞が書かれている。

 

 「蛙はでつかい自然の讃嘆者である」

 

 「蛙はどぶ臭いプロレタリヤトである」

 

 「蛙は明朗性なアナルシストである」

 

そして、

『 蛾を食ふ蛙はそのことのみによつて蛇に食はれる。人間は誰にも殺されないことによつて人間を殺す、この定義は悪魔だ。蛙をみて人間に不信任状を出したい僕は、それ故にのみ“かへる”を慈しみ、嫉妬の如き憎む』、とある。

 

「かえる」は、自然の食物連鎖の中に組み込まれ、他の生物の食料になる可能性の中にいることが、他の生物を食料とすることの正当性がある。 

 

人間は自然の枠外に出て、しかも食物連鎖の頂点に立つ。 従って、もはや正当性はない。 

 

互いに殺しあうことによってのみ、その正当性を無理やり見出す。 

その幸、不幸を唱えるならば、悪夢を持たない「蛙」のなんと幸福なこと・・!!

と「蛙」を賛美しているのである。

 

 

草野心平は、1903年石城郡上小川(現いわき市小川)で生まれている。 其の兄も詩人で、心平に大きな影響を与えたという。

 

 旧制磐城中学(現、磐城高校・・小生の大先輩)、慶応大学普通部の入・退学を繰り返し、中国に渡って嶺南大学(現、中山大学)で学ぶ。 

帰国後、詩を書きながら貧窮の中で各地を転々としながら、編集者、記者、宣伝部員から貸本屋、焼鳥屋、居酒屋の経営まで手がけるが、商売上手ではなかったようである。 

 

そんな中で、宮沢賢治と八木重吉(日本の詩人:明治31年、町田市相原町に生まれる、キリスト教徒、肺結核により29歳の若さで死去)を広く世に紹介し、高村光太郎との温かい友情は終生続いたという。

 

詩人としては、詩集「第百階級」、「定本・蛙」などで評価を確立し、蛙を通して生命力への賛美と自然のエネルギーをうたう「蛙の詩人」と親しまれた。

 

それが縁で、隣の福島県川内村(天然記念物モリアオガエルの生息地)の名誉村民になって毎年村を訪れ、自分の蔵書を村に寄付しているという。

 

いわき市名誉市民、日本芸術院会員、文化功労者のほか、昭和62年には文化勲章受賞。 

昭和63年(1988年)1112日、85歳で生涯を終えている。

 

  

次回、いわき市南端の「勿来の関」

 

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