● わが故郷のいわき市の詩人・「草野心平 Ⅱ」
更に、草野心平のこといなりますが、
先ず、詩集「第百階級」の扉には、四行の題詞が書かれている。
「蛙はでつかい自然の讃嘆者である」
「蛙はどぶ臭いプロレタリヤトである」
「蛙は明朗性なアナルシストである」
そして、
『 蛾を食ふ蛙はそのことのみによつて蛇に食はれる。人間は誰にも殺されないことによつて人間を殺す、この定義は悪魔だ。蛙をみて人間に不信任状を出したい僕は、それ故にのみ“かへる”を慈しみ、嫉妬の如き憎む』、とある。
「かえる」は、自然の食物連鎖の中に組み込まれ、他の生物の食料になる可能性の中にいることが、他の生物を食料とすることの正当性がある。
人間は自然の枠外に出て、しかも食物連鎖の頂点に立つ。 従って、もはや正当性はない。
互いに殺しあうことによってのみ、その正当性を無理やり見出す。
その幸、不幸を唱えるならば、悪夢を持たない「蛙」のなんと幸福なこと・・!!
と「蛙」を賛美しているのである。
草野心平は、1903年石城郡上小川(現いわき市小川)で生まれている。 其の兄も詩人で、心平に大きな影響を与えたという。
旧制磐城中学(現、磐城高校・・小生の大先輩)、慶応大学普通部の入・退学を繰り返し、中国に渡って嶺南大学(現、中山大学)で学ぶ。
帰国後、詩を書きながら貧窮の中で各地を転々としながら、編集者、記者、宣伝部員から貸本屋、焼鳥屋、居酒屋の経営まで手がけるが、商売上手ではなかったようである。
そんな中で、宮沢賢治と八木重吉(日本の詩人:明治31年、町田市相原町に生まれる、キリスト教徒、肺結核により29歳の若さで死去)を広く世に紹介し、高村光太郎との温かい友情は終生続いたという。
詩人としては、詩集「第百階級」、「定本・蛙」などで評価を確立し、蛙を通して生命力への賛美と自然のエネルギーをうたう「蛙の詩人」と親しまれた。
それが縁で、隣の福島県川内村(天然記念物モリアオガエルの生息地)の名誉村民になって毎年村を訪れ、自分の蔵書を村に寄付しているという。
いわき市名誉市民、日本芸術院会員、文化功労者のほか、昭和62年には文化勲章受賞。
昭和63年(1988年)11月12日、85歳で生涯を終えている。
次回、いわき市南端の「勿来の関」
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