● エエッ、 勿来の関所は存在しないって・・?、
案内板に従って坂を上り切ったところの勿来の関公園には、勿来の関碑と平安時代の武将、源義家の像が建っている。 春ともなれば植樹された桜が咲き誇るが、往時は、自生していた山桜が見事な花を咲かせていたのだろう。
源義家だけでなく、紫式部や小野小町、紀貫之など有名な歌人が勿来の関を詠んだ。 その数は確認されているだけで192首に上るという。 江戸時代が始まった1600年代前半には、歌に詠まれたイメージから、東北の太平洋沿岸の海の見える高台に勿来の関があったことが確かめられ、其の直後に磐城平藩が桜を植え、祠を建てたと考えられている。
勿来の関公園内にある勿来関文学歴史館学芸員の馬目聖子氏は「勿来の関は歌人たちの歌のイメージに支えられてきた関だとも思われます、と説明する。
「勿来の関」、其れは江戸初期のころから陸奥の国へ向う人達で、現在の茨城県境を越えて訪れた旅人達を先ず迎えたのは、陸前浜街道の福島県側の南端に位置する関田宿(現在のいわき市勿来町関田)だった。 其の近くに勿来の関があって、多くの歌人がこの勿来の関を題材にした歌を詠んだともいわれる。
その後、明治時代初期ごろからは文人墨客や文学ファンが訪れるようになり、現在も観光客の姿が多い。 いわき市の名所の一つとしても知られるようになったが、今現在では関所跡としては残っておらず、実際に関所として機能していたかどうかは定かでないともいわれています。 後世に関所らしいものを造作はしているものの、現在、考古学的な発掘調査を根拠とした所在地の推定はなされていない。
次回は、いわき湯本の祭りやイベント
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