● じゃんがら念仏踊りとエイサー、其の発祥
じゃんがら念仏踊りはいとつ頃から、 また如何なる理由で踊られるようになっ
たのだろうか、これは勿論、宗教の祈りの形態であるが、其の中の1つの説として、「袋中上人」発祥説というのがあります。 袋中上人現在のいわき市常磐西郷町の出身で、江戸期が始まった慶長年間に仏法を学ぶため中国(当時の明)に渡航することを決意するが果たされず、琉球へ渡る事になってしまう・
この時に、袋中上人は琉球に3年間滞在することになるが、そこで琉球の民衆に浄土宗の教えや念仏踊りを伝えたとされています。 その後、 故郷に戻った袋中上人は琉球で伝えた念仏踊りを更に「いわき」の地でも広めたとされています。 琉球と言えば「エイサー」という念仏踊りのようなものが現在でも盛んに行なわれています、この袋中上人が布教活動の際に教授したとも言われています。
このエイサーは、沖縄県と鹿児島県奄美群島でお盆の時期に踊られる伝統芸能で、この時期に現世に戻ってくる祖先の霊を送迎するため、若者たちが歌と囃子に合わせ、踊りながら地区の道を練り歩くという法事なのです。 地域によっては呼び名をヤイサー、エンサー、とか念仏廻り(ニンブチマーイ)とも呼ばれていて、いわき地方の念仏踊りに似ているところもあるとされています。
因みに、沖縄のエイサーは、いわきの盆踊り同様に沖縄で古くから伝わる伝統芸能の一つで、お盆の時期はもちろん、運動会や披露宴など、さまざまなイベント、お祝い事にも用いられる沖縄県民にとっては大変馴染みのある演舞です。
お酒の席で酔いが回ってくると、鳴り物一本(三線)で両手を振り上げながら踊りだす姿や風景を見たことがありますね。
沖縄のお盆の時期では、ウークイ(お送り)の夜に、ご先祖さまが寂しい思いをせず元気に帰れるようにみんなで踊ってお見送りをしたのが、「エイサー」の始まりといわれています。 いわきのジャンガラとチョット異なるのは、やはり鳴り物の主体が三線(三味線)であるということですね。 更に異なるのはいわきのジャンガラはお盆の時期だけに行うもので、其れ以外は特別な場合を除いては、普段の日は一切行われてはいません。
いわきの「じゃんがら念仏踊り」の最盛期は江戸時代とも言われていて、当時の藩主であった内藤氏の援護も有って各地に広がってゆくが、其の地域と言うのは先達で当地方を治めていた岩城氏であり、この領主のエリアと一致するとされていて、それが、現在のじゃんがら念仏踊りだとしているのです。
● じゃんがら念仏踊り中興
一方、じゃんがら念仏踊りは一時的に廃れるが、江戸中期の頃にいわき地方は不凶不作に見舞われたために、当時のいわき(磐城)藩の藩主である内藤氏が地元の窮状を慰めるために推奨して行わせたものとされております。 其の大本の起源は、当時、浄土宗の高僧であった祐天上人という修行僧が当地のいわき市内の出身者でもあり、此の時にいわき地方の人のために念仏踊りを広めつつ有ったとされ、近所の村人達の浄土宗と同時に慰安と念仏の普及を兼ねて「南無阿弥陀仏」を唱えながら歌の節にあわせて踊りと共に唱えさせたのが始まりというする説もあるようです。
「じゃんがら念仏踊り」を当地方に広めたとされる高僧・祐天上人は、実は当地出身でもあり幼少の頃は東京芝の増上寺や成田山新勝寺に参詣し修行したとされています。 以後は其の力量を発揮しながら往年は徳川将軍家の信頼を受けて増上寺の法主にもなった人物とされています。
尚、祐天上人は現在の目黒区の祐天という地域で入滅したとされて、現在でも私鉄の駅名でも知られる祐天寺駅があり其の近くには弔った「祐天寺」もあり、そして其の地域の町の名前として目黒区祐天町というところもあります。
ところが、「じゃんがら念仏踊り」は、明治6年(1873年)になって明治政府の政策の一環として磐前県より「禁止令」が出されます、其れも全面禁止です。
其の直接の禁令とした理由は、「 磐城の風俗としては念仏踊りと称し、夏から秋にかけ、仏の名を唱え、太鼓を打ち、男女が群れ、夜通し遊び歩き、中にはどうかと思う醜態があると聞く。 文明の今日にあるまじく、悪い慣習であるので、本年より、念仏踊りを禁止する。 大人から子どもに至るまで、よく云って聞かせるように。」 ちうお達しである。
上記のように尤もらしい理由をつけたが勿論、此れには明治新政府が国家政策として進めた「神仏分離」や「廃仏毀釈」運動の影響があるのは確かで、天皇制が絶対の明治政府は、日本の伝統であり天皇の皇祖高祖である神道を重んじたからで、神意を高めるために神をないがしろにしていた仏教を排斥したのであったのです。
次回は、我が家でもお盆の時期に「ジャンガラ」を、
0 件のコメント:
コメントを投稿