2021年10月12日火曜日

昔の生活路・陸前浜街道

 

 

 

 

● 昔の生活路・陸前浜街道と其の界隈 

 いわき湯本を横断している、陸前浜街道というのは、とにかく歴史的には極めて古く、飛鳥とか奈良時代には既に道筋が出来ていて、古の人々が往来したとされています。

我がいわき湯本でいいますと、まず、温泉街の中心地である天王崎、湯本駅前、そして我家の住宅横、金毘羅さんの参道等がそうで関船町辺りになりますけど、湯本温泉は前述していますが、既に平安時代にはか開湯されていたそうで、旅人や通行人は、此方で温泉に浸かって旅の疲れを癒したのかもしれません。

 

近年映画になった「超特急 参勤交代」では、湯本町ないではないけれど、隣町の白鳥町や上湯長谷(湯長谷藩)が舞台になっているが、江戸までは勿論、この陸前浜街道を利用したに違いない。 ただ、江戸期になると御三家の水戸様の威光に配慮して、水戸から江戸までは水戸街道と呼ばれているのが実情のようです。

 

いわき市内の陸前浜街道といいますと、現在の福島県道56号線に重なるところが殆んどになります。 先ず、常陸の国の茨城県を過ぎると、勿来の関所がある関田宿、JR常磐線の植田駅周辺の植田宿、内陸部に向かって我家の親戚がある釜戸へ向う途中の渡部宿、その後は山中の泉田、白鳥町から湯本温泉の湯本宿、更は内郷から磐城平宿、そしていわきの浜に近い四倉宿、久之浜宿などになります。

 

 

 

 

●浜街道の人流、物流は

 

陸前浜街道は、当地方の気象の特徴を見ても判る通り、内陸部の奥州街道や会津街道に比べると平坦で降雪量が少なく温暖であるのが特徴ですし、通行人たちは通りやすいとも思われます。 特に、古代から中世にかけては人種の種類に関係なく多くの人々が通った形跡があります。 然しながら江戸期にはいると江戸幕府の命で参勤交代が行なわれるようになりますが、実際に浜街道を利用した参勤交代の藩は、街道沿線に居城がある磐城平藩や相馬の中村藩などに限られていたとされています。

 

これは、北から江戸へ向う場合には、街道の出発点(宮城県の岩沼)である仙台藩及び仙台藩より以北の南部藩などの諸大名は、途中にある徳川御三家である水戸藩の領内の通過することを敬遠したとも言われていて、山の多い奥州街道廻りのルートを採ったともいわれています。

又、物流面においても主たるルートは海上が主体であり、内陸の陸路は兎も角、沿岸部では江戸期以前までは日本海のルート(北前船)が一般的だったが、江戸期以降は太平洋ルートが発達する事になります。 そのためも有って浜街道の北端に位置する宮城県の阿武隈川河口の亘理郡荒浜からは、米沢藩などの蔵米が、常時に江戸に輸送されるようになるなど、海路での運輸が主体になるのであった。

 

 次回は 陸前浜街道の成立ちとルート、

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