我が青春の故郷・いわき湯本
さて、其の我が青春時代であるが、いわき市の「いわき湯本」は小生の故郷である。
先ず、「いわき市」は当時は、ひらがなの地域名として珍しがられた。(小生は批判的である) 昨今、多くの市町村が合併する際、さまざまな思惑から「ひらがな名」とした例が多いが、本市はその魁(さきがけ)といえる。 そして、2003年4月までは日本一の面積を誇っていた。
昭和41年(1966年)の初め磐城地方の中心都市の平市(平・四倉地区))、炭鉱と歴史の内郷市(内郷・白水地区)、温泉と炭鉱の常磐市(湯本・湯長谷地区))、港湾都市の磐城市(小名浜・泉地区)、海浜と歴史の勿来市(勿来・植田地区)、と周辺五市が大合併して現在の「いわき市」が誕生している。
それに、本題材に「いわき湯本」と多く記されているが、此れはあくまでもいわき市の湯本という意味で、行政上の正式な名称ではありません。 湯本地区は前述の通り以前は常磐市湯本町であったが、合併していわき市になったことから、旧名が頭につき、正式にはいわき市常磐湯本町という事になり、これが正規の行政上の名称であります。
因みに、駅の所在や役所名、それに湯本地区の温泉街の辺りの住所は、全ていわき市常磐湯本町になります。 そして湯本町の周辺地域はいわき市常磐〇〇町ということになり、周辺地域では例えば、筆者の古巣の住所は常磐関船町、直ぐ近い本家筋は常磐白鳥町、他にも周囲の地域では常磐藤原町、常磐水野谷町、常磐上湯長谷町、常磐下湯長谷町、などと呼んでいます。
さて、私が「湯本」(正式名称は常磐関船町)に在住したのは、小学校入学時代から成人になるまでで、住所としては福島県石城郡湯本町、及び常磐市湯本町地区の時代といわき市が誕生して「いわき市常磐湯本町」(1966年;昭和41年10月1日)になってからの数年間であり、その後の時代以降は既に首都圏に移住していた。
生まれたは満州国・奉天市(今の中国東北部・瀋陽)であるが、終戦後、引揚げてきて父の故郷である石城地方へ戻り、湯本町(現、いわき市常磐湯本)へ住み着いたのであった。 外地で生まれた訳は、親父が中国東北部・旧満州の「南満州鉄道」へ就職し赴任していたためで、小生は昭和1△年に満州・奉天(今の中国・瀋陽)で出生している。
住居は、常磐線湯本駅から南の方向凡そ600mくらいで徒歩7~8分、現在の湯本第一小学校の真下で、地名は関船町迎、品川白煉瓦の社宅であった。 親父が故郷へ戻ってきた際、知人の世話で品川白煉瓦へ就職を果たし、併せて、引揚者の我等家族も社宅へ入居することが出来たのであった。
次回も、「
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