2021年5月8日土曜日

龍勝寺と湯長谷藩 

 


7、 龍勝寺と湯長谷藩 

 

我家の菩提寺である龍勝寺の奥まった高台に地元の中学校である磐崎中学校がある。 この辺り一帯は江戸時代の湯長谷藩があった地域でもあるのです。 現在は湯長谷城址跡、湯長谷藩屋敷跡が残すのみであるが、其の当時の江戸時代の初期の頃は本藩は磐城平藩と言っていたが、その他にも支藩の湯長谷藩があったのです。

 

元より磐城平藩は内藤家から始まるが、内藤家といえば徳川本家との繋がりも深く徳川親藩の一つでもあった。 江戸表には江戸城の直ぐ近くの虎ノ門に江戸の上屋敷があったことでも名藩の一つに数えられるとされています。

 

 

初代藩主となったのは内藤政亮で、延宝4年(1676年)に湯長谷城を築城し藩庁を移転、城下町の建設に尽力したといわれています。 初代藩主・政亮は藩政の基礎を固め、記録によっても「うまれつき悠にして、行跡よし、家臣を助け育て奢ることしない。誉れの将なり」と高く評価されていたらしいのです。


本藩にあたる磐城平藩内藤家は、6代藩主・政樹のときの延享4年(1747年)に日向延岡に転封され本藩の内藤家はなくなるが、支藩である湯長谷藩の内藤家はそのまま領地を保ち、幕末まで存続することになるのです。 

特に10代藩主・政民は藩校・致道館を創設して自ら四書五経を講じたとされ、幕末期まで特筆するような事件も発生していないし、地元では「名藩主が多い藩」とされているようです。

 

この「湯長谷藩」は、本家の磐城平藩の内藤家の分藩として成立しましたが、陸奥国の15000石の小藩ではあるが、初代政亮から13代政養で明治維新を迎えるまで転封や移封もありませんでした。

 

2014年には其の「湯長谷藩」を題材にした歴史エンターティメント映画・「超高速! 参勤交代」が公開されました。 映画は4代藩主の内藤政醇(まさあつ)の時の時代を表したもので、実名の主人公である政醇の菩提は藩の寺でもあった龍勝寺に祀られています。

 

 


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