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● 讃岐の本社・金毘羅さんの縁起と祭神について、
金刀比羅宮は、古くから海、航海の守り神として信仰されていることは衆知である。 瀬戸内海は、古来より海上交通の要衝であり、しかも海流が激しい海難の地域であった。 讃岐の琴平山は、この瀬戸内海を見下ろし、見守る絶好の地であったため自然発生的に海の祭神が祀られるようになったと思われる。
金刀比羅宮は、大物主神(オオモノヌシノミコト・蛇神であり水神または雷神としての性格を持つ、稲作豊穣、疫病除け、酒造り醸造、国の守護神)を祀り、古時は琴平神社と称した。 現在の琴平町名は、この社名から起こったとされる。 又、後に保元の乱(1156)で都を追われ讃岐に流され、この地でで生涯を終えた崇徳上皇を合祀相殿するようになった。
因みに、金刀比羅宮の祭神は、大物主神で「和魂」とされ、元もとは大国主神のことである。 不安定な日本の国を安定させるために、大国主神が中心となり、粗野であった大地の国造りを行われて来たので大国主「荒魂」ともいわれた。 平定した国をよりよく治めるために、大物主神の和魂をもって五穀豊穣や平安を祈る力とした。 はじめ荒ぶる魂であったが、後に、和やかな魂になったとされ、二つの精神を持った一つの神のことあった。 こうして日本の国は、大国主神の国造りを終えられたところで、大物主神の力に委ねられることになる。 大国主神は、記紀(古事記、日本書紀)などの表記によって、幾つかの神名を持つとされる。
さて、琴平山(象頭山)には、松尾寺(本尊・釈迦如来、薬師如来)が建立されていた。 その御本尊の守護神として金毘羅が祀られて、これが金毘羅大権現になったという。 この金比羅さんというのは、元々は薬師如来の守神である十二神将の筆頭・宮比羅(インドではクンピーラ)のことで、クンピーラはガンジス川に棲む「鰐」の神格化されたもので、海神や竜神といわれる。
因みに、薬師如来は、西方極楽浄土の阿弥陀如来に対して、東方浄土(浄瑠璃界ともいう)の教主で、その 名の通り医薬を司る仏で、医王という別名もあり、衆生の病気を治し、安楽を 与える仏とされる。 薬師如来は、大陸には存在せず、所謂、東方の日本に主に存在し、飛鳥の時代より信仰されている。 脇侍(きょうじ)には、ご存知の左に日光菩薩、右に月光(がっこう)菩薩で、十二神将に取り囲まれている。
この十二神将は言い伝えによれば、時を表す十二支に対応していて、一日を約2時間ずつ交替で守護しているのだといわれる。この十二神将の筆頭の宮毘羅大将が、日本では金毘羅(コンピラ)に訳され海上安全の神となり、大衆には「金比羅(こんぴら)様」の名前で親しまれてい。
ついでに、権現(ごんげん)とは、日本の神の神号の一つで、日本の神々は、仏教の仏が形を変えて姿を現したものであるという本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ・平安期に起こった神仏思想)の考え方に基づいた神号である。 「権」という文字は「権大納言」などと同じく「臨時の」「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「現れた」ことを文字で示している。
又、琴平山が象頭山と言われるのは、お釈迦様が修行した地に似ていたのと、琴平山が象の頭に似ていたので、その名が付けられたとも言われる。 「象頭山金比羅大権現」は、神仏習合によって金毘羅自体に神名が与えられたことを意味する。
ところが明治の初期、国家神道を成立させるべく、明治政府が神仏分離を発令され、後に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく・神仏分離令が出されたのをきっかけに、神道家などを中心に各地で寺院・仏像の破壊や僧侶の還俗強制などがおきた)と呼ばれるもので、その為、松尾寺の別当(筆頭僧侶)は、寺自体を廃絶させた上で祭神を金刀比羅宮として生き残ったという。 そして現在はこの祭神が踏襲されている。
日本は海の国、海洋国家である。 海の神様である「金刀比羅宮」が全国各地に分社、分支され多くの国民に愛され祀られているのは当然の事と言えるかもしれない。
次回は、金比羅宮の「さざれ石」について、
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