● 藤原徳一の開いた、いわき湯本・「長谷寺」の追筆になります、
毎年の度にに行っていることではあるが、偶々(たまたま)というか既に、遠に過ぎ去った日の平成19年の秋分の日(2007年9月23日)に先祖が眠る故郷・田舎の寺院(白鳥山龍勝寺)があるいわき湯本を墓参のために訪ねたことがあった。 そして、その帰路、久しぶりに上湯長谷の「宇治山長谷寺」へ立ち寄ったのである。
場所的には湯本駅前から南へむかう県道・湯本-植田線の下湯長谷地区のスーパー「マルト」の信号を上湯長谷地区に向かって1kmほど行くと、そこに広い境内と美しい庭園を構えた長谷寺があり、正面に大きく「長谷寺」と書かれた石柱が立っていた。
前述しているが、思えば、この辺りは子供の頃よく遊んだ地域でもあった。 小さな丘の東方に「湯本第一小学校」があって、この学校は小生の母校であり、しかも住居地は小学校のすぐ下隣にあったのである。 又、寺のすぐ北方直近には「湯本第一中学校」があって、通学途上は小学校の校庭を横断して寺の境内の直ぐ横を通り、通学していたものであった。
寺院境内の様子は、昔日と今日とではおのずと様変わりしているとは思われるが、いずれにせよ小学校時代や中学の通学途中の道草によく遊び、ヤンチャをしたものであり、実に懐かしい地域なのである。
この日は、彼岸の御中日ということも有って、墓参のための檀家衆の出入りも激しく車の交通整理員が2人も3人も出ているほどで、舗装された坂道の両脇には大きな駐車場もあるが、ほぼ満車状態であった。
ところで昨今、われ等の生活状態も豊かになったのであろうか・・?、 気が付くことに何れの寺院の墓地、墓石も新調しているらしく、真新しく光り輝いているのであり、 無論、長谷寺の墓地も例外ではなかった。 同寺の主要な墓地・霊園は北面高所にあって、杉林の囲まれヒッソリと・・、と言いたいが、本日は彼岸ということもあって大勢の墓参りの参拝者で賑わっている。
実は、小生は本院に墓参に来たわけではなく、寺院本堂に参拝の傍ら、長谷寺の歴史に興味があって、それらに関して訊ねて来たのである。 車を置いて本堂境内に向かう入り口に、これまた立派な石柱が立っていて、右に「宇治山・長谷寺」、左に「大同二年徳一大師開山」としてあった。 更に進むと左手の大きな堂宇があり、その正面の上部、横向き看板に「徳一大師開山1200年記念」と記してあった。 大同二年は、西暦にすると807年のことで、今から1200年前の事になる。
そうなのである、
本年は2007年、開山が平安初期の和暦の大同二年は西暦の807年に当たり、今年は実に限(きり)のいい1200年の開山記念の年なのである。 境内は古刹寺院の瀟洒(しょうしゃ)な面影を存分に漂わせていて、心が洗われる清楚な雰囲気を醸し出している。
本堂に一礼を済まして横の寺務所を訪ねると、やはりというか、住職、若僧は秋の彼岸会などで不在であった。 家人に1200年記念法事の件や同寺院の縁起書、案内書なるものを訊ねたが要領を得ず、同寺の「観音立像」のパンフ一葉を有難く頂いて退所することにした。
尚、1200年記念大法要は、本年11月初旬に行われるらしい。
次回は 「いわき湯本・長谷寺の観音立像の概要」
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