● 序いでながら慈覚大師・円仁のこと、
同時期、東北にはもう一人偉大な宗教上の人物がいた。 これが最澄の弟子といわれるのが皮肉で面白い、慈覚大師・円仁(下野国都賀郡;現在の栃木県下都賀郡壬生町の出身、 最澄の弟子で第3代比叡山延暦寺天台座主)である。
関東の名刹で、落語の「目黒のサンマ」でも知られる目黒不動、つまり瀧泉寺や山形市にある立石寺、松島の瑞巌寺を開いたと言われる慈覚大師・円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は、関東では200余寺、更に東北では33お余寺あるとされ、中でも平泉の中尊寺や浅草の浅草寺も其の一つでもあり、更に、北海道にも渡って有珠善光寺の開基にもあたったとされる伝承が存在する。
実は筆者が東北を巡った際もお目にかかったが、東北の北端に三霊山と称される恐山・円通寺、瑞巌寺、それに中尊寺、山形市の立石寺(山寺)など、これら有名仏閣の開祖した高僧でもあります。
平安初期の公家・武官の坂上田村麿の往くところ、「円仁」の蔭があるともいわれ、東北文化の成立に偉大にして大きな役割を果たした高僧なのである。 円仁は最澄を超え、空海を超え、徳一を超えたともいわれ、円仁が布教活動にもっとも力を入れたところ、それが東北地方であった。
「円仁」は、わが国が誇るべき世界の偉人であるともされている。
「徳一」の偉大で、且つ特異さは貴族の出でありながら、それまでの貴族中心の布教に対し、円仁は民衆に接しての救済を熱心に努めた大人物であった。 その徳一が開祖した「いわき湯本の長谷寺」は、2007年(平成19年)で丁度、開建1200年の記念の年に当たる。
近年、この寺院を訪ねる機会を得た、
次回あ、いわき湯本・「長谷寺」の追筆です、
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