● いわき湯本の湯の岳と温泉神社
我が故郷の「湯の岳と温泉神社」について、 我が古巣は湯本駅を降りると左方向に在するが、 温泉神社の方向はその逆で、常磐線の「湯本駅」から御幸山を正面に右方向へ、天王崎を過ぎると間もなくT字路になるが左に石柱で造られた鳥居が在り、鳥居を潜って石段を上ると立派な社殿が現れる。
ここが「温泉神社」である。 少年時代には良くこの辺りで遊んだものであるし、何といってもこの辺りは中学校(湯本第一中学校)への通学途上路でもあった。
五月の初頭に行われる例大祭の「さつきまつり」は、地域住民の最大の楽しみであった。 現状は定かでないが、当時は温泉に感謝するため、各旅館が温泉を樽に汲み入れ神前に奉納する「神社献湯式」が本殿で行なわれますし、大小の神輿や長持(衣服・調度などを入れて保管したり運搬したりする。 長方形で蓋のある大形の箱で、江戸時代以降さかんに使われもので、神事・婚礼などで長持唄を唄いながらゆったり運ぶ)、その他の祭事で大変賑わったのも記憶している。
温泉神社は、旧来の地名に因んで佐波古神社(現在は湯本町三函)とも称し、社史にも伝わる。 その「神幸由来記」などの古文書によれば、神代の昔、『湯の岳』が御神体山であり信仰の山であって、白鳳年間(奈良期の7世紀頃)、この「湯の岳」より降臨(神仏などが天降ること)して里宮とし、遷座されたと記されている。
言伝えや伝説によると、日本武尊が東征のため当地に進駐の折、大和国・三輪大社(現在奈良県桜井三輪)の主神・大物主神(オオモノヌシノカミ・大巳貴命・大国主命)を勧請、分社し、少彦名命(スクナヒコノミコト、神話時代の国造りの神:大国主神とともに全国を回って国土を開拓した神とされている。 医薬の神)と共に合祀されて、以来二神が郷民によって祀れたという。
祭神は地下資源の神、医薬を司る神で湯本町の鎮守様として広く崇敬をあつめている。 その「湯の岳」は、我等町民の山であり、常磐道のいわき湯本I・Cのすぐ横に聳える山で、稜線は弧を描いたなだらかな緑豊かなの山である。
我等の小学校、中学校の校歌にも詠われ、小生が小学校5、6年の時はクラスが五組であったので「ゴクミ・593」、つまり標高が593mであったのを今でも記憶に有り、印象に残っている。
次回は、 「温泉神社の元宮は奈良の三輪大社、」
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