「石城地方」、つまり福島県の浜通り地区では、主に現在のいわき市に当たりますが、旧名は石城(いしき、又はいわき)とよんでいた。 例えば、町名や村名では石城郡◯◯町で湯本の場合は旧町名は石城郡湯本町だったのです。
古代の石城地方は歴史的には平安時代の初期にころまでは、所謂、奥州と北関東との境界線上にでもあり、蝦夷(えみし;東北地方で大きな勢力を持っていたといわれて、言葉や風習も違って,朝廷から異民族と見られていた)の勢力と大和朝廷の勢力と拮抗していた地域であったとされています、
つまり、小生の実家は昭和の初期までの呼称は福島県石城郡湯本町であった。 今は、平仮名の「いわき市」になっているが、本来の「石城」は「いしき」ではなく「いわき」である。
この「石城地方」について更に付け加えたい。
「いわき」は、古事記、日本書紀、風土記に表れる古来の和字は「伊波岐」と記されているらしい。 古代から中世にかけて「いわき」は、磐城とか岩城とも書くし、岩木とも書くことがあったらしいが、本来は石城である。
「続日本紀」(平安初期の歴史書)には陸奥国石城郡と書かれているし、それがら明治期までは石城郡の各地は町村の合併を繰り返し、市などに昇格した際には郡制が亡くなっているが、我が湯本町も南隣の岩崎村と合併して「常磐市」が誕生している。 「常磐」(じょうばん;の名称は、元は常磐炭礦や常磐線からの由来として、これらは炭鉱のエリアや常磐沿線の旧国名、つまり常陸国(茨城県)と磐城国に由来する
そして、昭和の大合併で40年代には周辺五市の大合併で「いわき市」が誕生し、この地域の石城は消滅している。 因みに、合併当時のいわき市は面積的には日本一の広さであったとされていますが、筆者自身はこの平仮名文字の「いわき」という書き方は大いに納得していない。 つまり、昭和中期の頃まで福島県石城郡であったのです。
さて、古代、大和朝廷の北への開拓は「日本武尊」の東征では相模国から安房国、常陸国あたりの道筋とされているが、その後も石城から次第次第に北に向うのである。 古代・石城地方は、蝦夷(えみし)の勢力と大和朝廷の勢力が拮抗していた地域であり、やがて、東征後は大和朝廷の傘下に治まり防衛前線基地となったとされてる。 所謂、大石を並べて城塞化したのが「石城」であり、古代の築城施設であった名残りが石城となったのだろう、と唱える先生方もいるようである。
次回は 「

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