2021年6月24日木曜日

奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡と箸墓(はしはか)古墳

  

ところで、近年の新聞報道やニュースによると、 『 奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、「女王卑弥呼の宮殿跡」らしき遺跡が発見され、更に、この遺跡より大量のモモの種や各種遺物が見つかり、これらの遺物から判断するに、全て各地から食材や物が集まって神饌(神に供える飲食物)として供えられた遺跡物資である可能性が高いといわれる。 これによって纒向遺跡が単なる農村ではなく都市的な場所であったことが明らかにされ、更に、この地が卑弥呼(ヒミコ)が在住した「邪馬台国」の最有力な候補地ではないか。 』、との報道があった。

 

更に、纒向遺跡の周辺には、これも近頃ニュースになった箸墓古墳(はしはかこふん;宮内庁名は倭迹迹日百襲姫命・ヤマトトトヒモモソヒメノミコトの墓としている)も有り、この古墳は、この辺りでも最古級と考えられていて三世紀半ば過ぎの大型の前方後円墳で、建造時期や大きさなどから日本国を形作った「卑弥呼」の墓ではないかとする見方もある。 因みに、卑弥呼は邪馬台国の女王とされ、その生涯年代は西暦175年頃? - 248年頃(在位188年頃 - 248年頃)とされている。 

  元より桜井市周辺は、縄文時代から弥生時代のかけて土器の欠片(かけら)などが一般の野原や畑などでも掘り出されるなど歴史の深さと事実を窺わせる土地柄なのである。 

この地域は、神武天皇御陵(橿原神宮)や崇神天皇、景行天皇のものとされる大王陵など、弥生時代や古墳時代にみられる「前方後円墳」などの古墳が多く今日まで残されている。 そのことから周辺地域はヤマト王権(大和朝廷につながる王朝;天皇制の以前の王たち)の中心的な地域であったとされている。 それ以前には三輪王権(大和の豪族集団)とも言われるようである。

 

「邪馬台国」の所在地については昔から近畿説と九州説があるが、近畿説を採用した場合、その根拠となるのが纒向遺跡であり、当時の畿内地方にあって小国連合の中枢となる地であったとして注目されている。

 

 次回は、「纒向遺跡は日本最初の都、都市、」

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