● 戦後の昭和天皇の御巡幸
終戦の年の3月には東京大空襲が米軍のB29によって行なわれ、10万人の軍属、一般人が亡くなった。 この時期に前後していわき湯本近辺では近くの日立や郡山方面も空襲にあったらしいが、幸いな事にここ地元の常磐炭鉱や品川白煉瓦の工場は被害にはあわなかった。 この時、日立製作所がある日立では米軍の洋上よりの艦砲射撃があり、ほぼ50km離れている当地の湯本にまで砲撃の音が響いてきたという。
そして、昭和20年8月15日に終戦を迎える。
昭和天皇は終戦の敗戦の衝撃と混乱との中、敗戦の翌年から神奈川県を皮切りに全国へ足を運んだのである、即ち、「戦後巡幸の旅」である。 其の目的は、戦後の混乱する日本国内を天皇が直接視察し、復興に携わる国民を「激励」し、戦災者や戦没者遺族などを「慰問」するためとされたのである。
東北巡幸を前に、真夏の酷暑による国民の労苦を思われた昭和天皇のお言葉は各地方官庁に伝えられているという。 東北巡幸を前に、洋服の新調を提案する侍従に対して天皇はこうお答えになり提案を斥けられたという。 「アメリカは勝ったんだし、金持ちなんだから、いい物を着たって当たり前だが、日本は敗けて、今みんな着る物も無くてこまっているじゃあないか。洋服なんかつくる気になれない」と、
ただ、天皇の姿を見せられて、昭和天皇と自分たちは軍や官僚によって「だまされた」のだという見方や認識も国民の中にはあり、天皇や国民の戦争責任認識を曖昧にしていったという意見もあったようだ。 この一つの事例として関西巡行の際に京都大学をご訪問されたとき、一部の学生が「巡行反対」などのビラや奇声を上げ、当局により「不敬」の罪で逮捕されたという事件である。
次回は 「● 戦後の昭和天皇の御巡幸の意義」
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