奈良桜井市の大神神社・拝殿(遥拝所) wikより、
三輪山の神に囲まれた古代の大和は、王国の地(天皇を中心とした朝廷政治=大和朝廷)であった。 ではそれ以前は・・? 旧態豪族の住む地であったとされる。 神武天皇が九州の地(日向・美々津)から紀の国へ上陸し奈良盆地を平定するとともに、この地域全体を「大和」と呼ぶようになった。 さらに日本全土を大和と呼び習わすようになったといわれる。 「大和朝廷」の都の成立であり、その信仰の中心的支柱が「三輪山」であり、歴代大王=歴代天皇家の地となった。
三輪山の神は本来、古代の豪族たちの神々(大国主神・国造りの神など)であったが、大和朝廷以降は天皇家の神々を祀った。 このため大国主神は出雲へ追いやられるのである。
しかし、後に三輪の神(天照大神)も伊勢の地に遷宮され、次の三輪の神になったのが「大物主神」であった。 三輪の神、つまり大神神社は旧来は美和乃御諸宮、大神大物主神社とも呼ばれていた。
移ったのは皇祖神である「天照大神」が伊勢の神の「伊勢神宮」であり、出雲では「出雲大社」であった。 三輪山の新たな主に収まった大物主神は、大国主神の別霊とされているが、これは大国主神の方こそが大物主神の別霊であるともいわれる。 つまり三輪山は最大最高の神霊地(豪族としての大王家氏神:大国主神)なのであり、それが反転、和魂(にぎみたま;元より神は二つの性格を持つという意味)としたのが「大物主神」なのであるとされてる。
●次回は、「奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡と箸墓(はしはか)古墳」
● 伝説の国、大和の王国、
三輪山の神に囲まれた古代の大和は、王国の地(天皇を中心とした朝廷政治=大和朝廷)であった。 ではそれ以前は・・? 旧態豪族の住む地であったとされる。 神武天皇が九州の地(日向・美々津)から紀の国へ上陸し奈良盆地を平定するとともに、この地域全体を「大和」と呼ぶようになった。 さらに日本全土を大和と呼び習わすようになったといわれる。 「大和朝廷」の都の成立であり、その信仰の中心的支柱が「三輪山」であり、歴代大王=歴代天皇家の地となった。
三輪山の神は本来、古代の豪族たちの神々(大国主神・国造りの神など)であったが、大和朝廷以降は天皇家の神々を祀った。 このため大国主神は出雲へ追いやられるのである。
しかし、後に三輪の神(天照大神)も伊勢の地に遷宮され、次の三輪の神になったのが「大物主神」であった。 三輪の神、つまり大神神社は旧来は美和乃御諸宮、大神大物主神社とも呼ばれていた。
移ったのは皇祖神である「天照大神」が伊勢の神の「伊勢神宮」であり、出雲では「出雲大社」であった。 三輪山の新たな主に収まった大物主神は、大国主神の別霊とされているが、これは大国主神の方こそが大物主神の別霊であるともいわれる。 つまり三輪山は最大最高の神霊地(豪族としての大王家氏神:大国主神)なのであり、それが反転、和魂(にぎみたま;元より神は二つの性格を持つという意味)としたのが「大物主神」なのであるとされてる。
●次回は、「奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡と箸墓(はしはか)古墳」
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