都の朝廷執権・藤原氏の登場、
● 都の朝廷執権・藤原氏の登場、
古の奈良の三輪山、大和の王国、そして大和朝廷の来歴を述べてきたが、ここで、大和朝廷の時代になって「藤原氏」が登場してくるのです・・!。 これらの藤原氏は大和朝廷及び天皇家を擁護し、画策し、最終的な神統譜である紀記(古事記、日本書紀)を製作したのが「藤原氏」であるといわれる。 製作の目的は「天皇制」という新秩序のためであり、新しい律令的秩序であり、藤原氏自身のためのものであった。 大和王権とされる旧秩序、旧勢力、旧豪族を打破し、同時に大和勢力、強いては「中臣=藤原氏」の勢力を拡張することでもあった。
常陸の国に「鹿島神宮」(茨城県鹿嶋市宮中:常陸国一の宮)が壮大に鎮座している。 香取神宮と並ぶ東国の大社であり、霞ヶ浦を中心とする大水郷地帯の歴史的中心的な神宮である。 其処で藤原氏の登場ですが、藤原氏の祖・藤原鎌足(中臣・なかとみのかまたり)は、この鹿島の地で生まれたと伝えられ、やがて大和の都に「春日大社」を分社遷宮し創祀したといわれる。 この地鹿島は中臣(藤原)氏本流の地で、海人族であったとも言われる。
鹿島神宮は、「常陸国風土記」や「延喜式神名帳」などに多くの記載があり、武甕槌命(タケミカズチ)とその子神の天足別(アマタラシワケ)命を祭神としている。 武甕槌命は通常、記紀では迦具土神(カグツチノカミ)の血から生まれた神とされるが、藤原氏が奉斎する鹿島神宮の祭神・武甕槌命は、元より天孫降臨・天照大神の一族とされ、出雲の国の「国譲り」では、かの諏訪大社の大神・建御名方神(タケミナカタ)と相争い、これが日本における「大相撲」の起源ともされているのは有名な話である。
藤原鎌足は飛鳥時代の政治家で、藤原氏の始祖にあたる。 大化の改新以降に中大兄皇子(天智天皇)の腹心として活躍するのは歴史上でも有名である。 その子「藤原不比等」(ふじわらのふひと)が実質的な「藤原姓」を名乗り、藤原氏の祖と言っても良い。 その孫に藤原仲麻呂がいて、仲麻呂の第11子が「徳一」とされている。
つまり、徳一は偉大なる不比等の曾孫にあたるのである。
次回は、 高僧・徳一は「藤原徳一」
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