● 纒向遺跡は日本最初の都、都市、
この纒向遺跡は、奈良盆地南東部の三輪山麓に位置し、既に都市計画がされていた痕跡と考えられる遺構が処々方々で認められ、水を得るための巨大な運河などの大土木工事なども行われていて、他の一般的な集落とは異なる点が多く、日本最初の「都市」、あるいは初期ヤマト政権最初の「都宮」とも目され、既に政治都市としての形が出来ていたともいわれる。
又、祭祀用具を収めた穴が30数基や祭殿、祭祀用仮設建物などのも見受けられ、東海地方から北陸・近畿・阿讃(四国)、瀬戸内・吉備・出雲ならびに北部九州にいたる各地の土器が搬入されていることも確認できるという。 所謂、この地方は3世紀からそれ以前には既に「卑弥呼」を中心とする中央集中の国家体制が出来つつあったか、はたまた既に出来上がっていたとする見方である。
「纒向遺跡」は、その大きさからも七世紀末の藤原宮にも匹敵する巨大な遺跡であり、これこそが「卑弥呼」以降の「大和朝廷」の発祥の地にほかならないともいわれる。
纒向遺跡には、箸墓古墳やその周辺を含めて20数基地の古墳が存在するという。
このうち現状から前方後円墳と判別できるものとして、箸墓古墳、纒向石塚古墳・矢塚古墳・勝山古墳・東田大塚古墳・ホケノ山古墳があり、これらの古墳を総称して「纒向古墳群」といっている。 近年の、この地区の考古学研究の専門家たちの発表によれば、纒向古墳群の出土物の調査等から建造時期は三世紀半ばと推定され、これは卑弥呼が活躍した時期と一致するとの見方で、「邪馬台国・近畿説」を支持する論者たちは意気盛んなのである。
「纒向遺跡」は三輪山の麓、桜井線の巻向駅の至近に存在している。
大和王権、更には大和朝廷の発祥の地とされる奈良盆地南東部に所在する大三輪社(三輪神社)は、大物主大神を祀り、三輪山を神体(神体山)として成立したのであった。 勿論、大和王権、更には大和朝廷はこの三輪山を尊崇し、崇めたのであった。
大三輪社は現在でも本殿をもたず、拝殿から三輪山を神体として仰ぎみるという古神道(原始神道)の形態を残しているのである。 そして現在の三輪山山麓には、日本最古の神社といわれる大神神社をはじめ長谷寺、談山神社などの由緒ある社寺も数多く見られ、宗教的にも歴史が深くしかも古代信仰の形体を知る上でも重要な地区となっている。
さて、話を元に戻しましょう。
次回は 「藤原氏の登場、」
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