● 湯ノ岳と奈良・大和の三輪山、
三函(サハコ)の地名は、今も湯本の町内に住所名として存在するが、「長谷寺」の所在地は上湯長谷である。 読みは「かみゆはせ」ではなく、「かみゆながや」と称している。
「湯長谷(ゆながや)」の「長谷(ながや)」は、当然、長谷寺の「長谷(はせ)」に由来する。 因みに、隣地に「下湯長谷」もある、湯の岳に向かって近いの方、つまり上の方が長谷寺の在る上湯長谷であり、遠く下の方が下湯長谷地区である。
次に、先に温泉神社の由来については先に触れたが、 奈良期の7世紀頃、神体山である「湯の岳」より降臨(神仏などの天下ること)して里宮として遷座したもので、後に、大和国・三輪神社(現、大神神社:現在奈良県桜井三輪)の主神を勧請し、祭祀されたとものいわれる。
三輪山は、奈良盆地をめぐる山でも高さ467メートルのなだらかな形の整った円錐形の山であり、いわき湯本の「湯の岳」と類似形をしている。 そして太古より神宿る山で、そのものが神体であり、原始信仰の対象であったとされるのも酷似しているのである。
奈良盆地の大和国は、奈良期の仏教伝来後、最も盛んに根本仏教が栄えたところであることは周知である。 奈良時代の仏教が波及するようになって間もなく、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)という神道と仏教を両立させるための信仰行為が成立する。 つまり、神仏習合(神仏混交、神と仏を同体と見て一緒に祀る)とも言われる。
仏教が国家の宗教となったのは奈良時代で、東大寺を建立した聖武天皇の時からであったが、実は天皇というのは神道の神様を祀る中心的立場にあり、100%舶来の仏教とは行かなかったようである。 つまり、仏教は、すんなりと日本人が受け入れたわけではなく、紆余曲折があったことは良く知られている。
そこで、神様と仏様が歩み寄る必要が出てきて、歩み寄ったのは神様の方であり、因みに、その一番手が八幡神(宇佐神宮・応神天皇、大分県宇佐市)だったとされている。
日本において神仏習合思想に基づいて、神社を実質的に運営する仏教寺院が設けられ、この寺院を「神宮寺」と称した。 そこで三輪神社の神宮寺は、大神寺、通称、大御輪寺であった。 (現在は、神仏分離で三輪若宮神社になっているらしい)この寺院には天平国宝の十一面観音が祀ってある、観音信仰の菩薩である。
観音信仰の中心は「長谷寺」であるが、その根本御堂が三輪神社・三輪山の東に位置する大和・初瀬(泊瀬)川の「長谷寺」であることは周知である。 初瀬川は聖なる川といわれ、初瀬が生じて「はつせ」・「はせ」・「長谷」になったとされる。 つまり、初瀬川は長谷川でもある。
三輪山の神に仕える巫女、彼女たちが禊ぎをするのが初瀬川であり、長谷寺の興りはこの三輪山と初瀬川であるとも想像できるのである。 三輪山のご神体が、初瀬川で生まれた「龍神」であり、龍神信仰と結びついたのが長谷観音信仰の根本であり、御本尊は「十一面観音」であった。
次回は、 「湯本温泉と奈良の都との関連」

0 件のコメント:
コメントを投稿